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 夜中、ふと目を覚ましたら政宗が泣いてた。あまりにびっくりして、俺は慌てて瞼を下げた。どうやら意識はないらしい。半目で伺った政宗の顔は、いつも通り。少しだけ眉間に皺を寄せて眠っている。その目元がぐちゃぐちゃに濡れてた。俺は二度、驚いた。だって、政宗が泣く姿なんて、これまで見たことなかった。ああ、強いて言うならこの前炭酸を鼻の方に逆流させて涙目になってたっけ。俺はそれを見て腹の底から笑ったけど。心臓が、どくどくする度張り裂けそうなのは気のせいだろうか。器用に身体をくねらせて政宗へさらに寄ってみる。じんわりと体温で温まった所へ侵入し、ぎゅう、と抱きついてみた。そしたら、鼻の奥と後頭部をまっすぐ繋げた顔の真ん中あたりが突然つきんと痛んで、不覚にも込み上げてきた。ざまぁねーや。今日も二人で慰め合うとしよう。











 元親がよく泣くのには、正直困っている。今回もどうやら俺が悪いらしい。一ヶ月前まで記憶を遡って思い起こすが、とんと身に覚えは無かった。しゃくりあげ続け、もう一時間はずっとこの状態。よく喉が渇かないな、と冷静な頭の隅は考える。
 俺の「ごめん」ほど信用できないものはない、だって?くそ、言ってくれるじゃねぇか。俺は、お前のためだけになら、なんだってやれるんだよ。聞け。
 世界のトップにしょぼいミサイルぶっ飛ばすことも(そもそも、お手軽にミサイルが作れたらの話)、内閣総理大臣や大統領になって国単位でお前を崇め奉ることも(そもそも、そんな財力やコネ、ちょっとした人徳があったらの話)、これまでお前を泣かしてきた奴らの顔がぐちゃぐちゃに潰れるくらい殴り倒すことも(そもそも、それって俺のこと?)できる。この期に及んでウソなんかつけるかよ。
 あ、それでも、ダメ。…そう。


「……」
「……」


 こんなとき、思うのは。コレ言ったら黙るから我慢してくれよ。
 どれだけ大事に想ってるか好きか愛してるか、ぜんぶ単位で表せたらいいのにな。そしたら、まどろっこしく言い合いする内にいろいろできること、あるだろ。

「……」
「……」

 あー焦れったい!
 必要ならどうぞ、俺の躯を天辺から爪先までひらきにして中身を見てくれよ!いっつもお前のことばっか考えてる、俺からお前ってのがなくなったら骨と皮だけになっちまう!
 でも、足りないんだよな。不安なんだよな。…わかるよ。
 そもそも、なんでお前を泣かしたんだ?俺は。意地でも言わないつもりかよ。そしたら、また同じ事の繰り返しだぜ?


 あーあ。こうやってる間に、世界は一体何回転してんだろ。
 そう考えると、何もかも馬鹿らしくなる。











 焦れた政宗が、くつろげる途中のワイシャツから手を差し入れた。意外としっとりした感触が胸を擽るのに、元親は目の前の頭を片手で抱え込むように撫でることで答えて、ふと首を傾げる。
 そのまま後頭部付近を好き勝手にまさぐり続け、いい加減にしろ、と政宗が顔を上げれば、悪気の欠片もない元親の顔が目の前にあった。
「…お前、ぜっぺきなんだ」
 ざっくり。
 政宗は、幻の傷がついた胸を押さえて蹌踉めく。
「わ、悪い。まさか、地雷だとは」
 慌てて付け足した声は、届かない。
 むくれたのか、見下ろす元親の目から顔を背け、いじいじと外れたボタンを弄んだ。こうなると機嫌取りが厄介だが、尚も意固地に寄ってくるのは微笑ましい。
 壁と政宗に挟まれてすっかり身動きの取れない身体の、唯一自由な腕で一層強く抱き締め、余り毛の目立つ旋毛へ頬擦りをした。

「ぜっぺきでもチビでも生意気でも、それがお前を嫌う理由になんてなりやしねぇよ」

 政宗は一瞬置いて、鼻で笑う。

「…デカでも年増でも泣き虫でも、アンタのことが好きでたまらないよ」

「先生と俺」









 肩と二の腕の寒さに震えて目を覚ました元親は、またか、と回転しない頭を無理矢理動かした。対して、隣に眠る政宗はすっぽり口元まで隠し、一つしかない布団を占領している。かろうじて下肢に多少掛かっているものの、日に日に下がっていく気温のせいで無意味に等しかった。元親が鳥肌を立てる。
「…なぁ、おい、なぁ」
 政宗の肩周辺を揺さぶるが、されるがままがくがくと振れるだけ。しつこく繰り返すとようやく、びく、と片足を跳ね上げた後寝返り、無言で背を向けた。
 面倒だったのでそのまま使っている、前の住人が置いていった薄いカーテンの遮光効果は気休め程度で、完全な暗闇をつくり出すことは出来ない。薄暗く、ぼんやりと輪郭が浮かび上がった嵩張る布団を掻き分けて、政宗の顔の辺りに見当をつけると元親はゆっくり囁いた。
「まさむね」
 一瞬の、完全な沈黙。
 根負けしたのはもちろん政宗で、反則だ、と弱々しく抗議すれば、立てた腕で頭を支えた元親は重たげな目を細めて楽しそうに笑う。
「手段は選んでられない、ってな。大人は狡いんだよ」
 それでも政宗は渋って、もぞりもぞり、寝返りをうった。咎めるでもなく見守っていた元親がひとつ、欠伸をする。時計に目をやると、まだ4時だ。取り立てて睡眠時間を長く欲しいタイプではないが、それでもまだ寝足りない。
 しゅるり、と布同士が擦れる音がした。元親は柔らかくて暖かい感触を待ち侘びていたが、実際にはそれを纏った物体が覆い被さってくる。
「ぐぉっ」
 独り占めしていただけあって、政宗は爪先までも程良く温まっている。思わず抱きしめ返し、なんだよ、と苦しく詰まった息の中で尋ねた。
「人間布団。あったかいだろ?」
 政宗が微かに鼻で笑う。間違いはなかったので、元親も黙ることにした。


「…ちょっと重い。息苦しい」
「アンタよか、軽いよ。この間乗られた時は最高だったけど、千切れるかと思った」
「!!」

「先生と俺」









「今すぐここでアンタとセックスしたい、って言ったら俺を軽蔑する?」

 なんてこと口にしているんだ、と大声で怒鳴ろうか。そんな気分じゃない、ここが何処かわかってるんだろ、と冷静に諫めるか。元親は或る瞬間まで、確かにその二択で迷っていた筈だ。
 しかし、向こうの机に伏せていた政宗がこちらを振り返り、頬をつるつる光る表面へ密着させたまま、どんなものでもいいから答えてくれ、と視線で訴えられると、可笑しなことにどうなってもいい気分になってしまった。
 困り果てて黙っていると、政宗はゆっくり席を立つ。まだ間に合うだろう。本気で嫌がれば無理強いはしない。多少傷つくことはあっても。
 これが最後のチャンスだ。政宗の指が意味ありげに首元をなぞり上げた。

 …あ、食われる。
 政宗の、薄く開き近づいてきた唇から覗いた犬歯は、よく見れば予想以上に尖っている。いつだったか、キスの延長で自分の舌が引っ掛かった時、なんとも表現しがたい感情の渦にのみ込まれたことを、元親はふと思い出した。

「先生と俺」









 つい先日までの雨がからりと晴れ上がった、気分の良い日。元親が休憩がてら屋上へ向かえば、ごろりと転がっている姿を見つけた。
「政宗?」
 返事はない。音を立てないように近づき、聞こえたのはすぅすぅという小さな息。手足を自分にありったけ引き寄せて、小さく丸まりながら寝るが彼の癖だ。かえって窮屈ではないのか、以前聞いたことがある。それに対する返答は、真面目な顔をつくった割に粗末なものだった。
 じゃあ、アンタに抱きつけばおさまるかな。
 抱き枕代わりにされるのは、嫌いではない。ただただ、気恥ずかしさが勝って、政宗の薄い胸板に自分の頬をすり寄せるくらいしか出来ないのだが。
 なんだか起こすのも気が引けたので、傍にある貯水タンクによじ登り元親は上から盗み見ることにした。なるほど、政宗が寝ている場所は陰になっていて、普通に訪れたくらいで見えることはない。校舎の裏といい、彼が好きこのむのは大抵誰にも知られることがない場所だ。人の目を避けようとするのは、無意識なんだろうか。
 そういうのって、なんだか心配したくなるんだよ。だってもっと年相応にはしゃいだって構いやしないだろ。
 そして浮かんだのは、政宗がキスやそれ以上を強請る時の顔つきだ。とても懐かしいもので、そういえば些細な悪戯を思いついた時の子どもの表情に似ている。あれが精一杯の仕草だとしたら悲しいことこの上ないが、でもそれを見せてくれるような関係になったのは素直に喜べた。
 衣擦れの音がして、見下ろせば陰がいくらか身動ぎ体を起こす。元親が声を掛けようかと覗き込めば、政宗はうつろな目でどこか遠くを見ていた。
 その左頬は濡れている。
 頭上にいる元親にはこれっぽっちも気が付かない。しばらくして乱暴に拭うと政宗は立ち上がり、何事もなかったかのようにポケットへ手を突っ込み、気怠い足並みで行ってしまった。


 タイミングを逃した元親は、数瞬置いてはっとすると、貯水タンクから転がるように降りる。
 離れていった背中を、一目散に追いかけた。

「先生と俺」