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佐助が自ら望むことは、ないに等しい。だから、少々強引すぎる勢いで致すのがいいのだと、幸村はやがて知った。これからの行為を思うと、握りしめた掌に汗がにじんだ。
 名を呼べば、佐助は振り向いた。
 それだけで我慢がきかなくなって、腕を伸ばし抱き締める。相変わらず強ばる身体をやさしく、丹念に愛撫すると、ぎこちないながらも肩口に重みがかかった。
 燃えさかるような色が、幸村の視界一面を奪う。漆黒の闇を待つ空と、佐助との境界線は融けてしまったようだ。頬をくすぐるそれは細いくせに芯を持っていて、ちくちくする。不快ではなかった。
 さすけ。
 もう一度呼べば、うん、と夢見心地な声が返った。
「好きだ」
 答えはないまま、結局幸村が苦笑してすべては終わりを迎える。もう何度も繰り返したことだった。



 気まぐれのように口づけを交わし、触れた佐助の唇がまるで、すき、とでも告げるように動く。
 それだけで幸村はおろか、佐助ですら、込み上げてきりのない想いを支配することが出来なくなってしまった。











 好きだ愛おしい。

 たったそれだけの言葉と感情を持て余すことで、人を死に至るのだと思う。そうでなければ、今も自身の中で沸々と湧き、残酷にこの心を引き裂いていきなどしまい。
 果たしてお前も、そうなのだろうか。
 近づいても近づいても決して重ならない、想いを推しはかることは容易くない。
 それでも。

 俺はこの恋になら殺されてもいい、と思う。
 どうか馬鹿らしいと笑ってくれ、佐助。佐助。











「薬屋のお兄ちゃん、助けて!へびに噛まれた!」
 同い年ぐらいの少年を連れて、ここから少し離れた村に住む少女が、山小屋のぎこちなく開く扉を苦労して開ける。床で胡座をかき、器用に足ですり鉢を抱えていた青年は顔を上げた。
「蛇?どこで?」
「道ばたの藪で。私をかばって噛まれちゃったの」
「そっか。とにかく、上がりな」
 青年が立ち上がる。着流しの右袖が風で膨らみ、不自然に軽く揺れた
。  薬箱を用意した囲炉裏端まで招き、噛まれたという少年の左手をとる。解れた糸が目立つ布きれで手首は縛られ、見ると少女の裾は短い。
「…この辺りのはあまり強い毒をもってないけど、良い判断だ。この調子だと、水でも流してきたみたいだね」
「前に話してくれただろ?思い出したんだ」
「うん、上出来だ。痛かったろうに。頑張ったな。えらいぞ」
 そう言って青年がわしわしと頭を撫でると、安堵のためか少年は涙ぐむ。傍らの少女もほとんど溢れそうなほど涙を浮かべていた。
 手際よく薬は塗り込められ清潔な包帯が巻かれていく。手を借りながら処置は無事終わり、その頃になると肩の力はすっかり抜けて、二人は汚れた互いの顔を見やって吹き出しながら鼻をすすった。
「これでおしまい。あとは、特別痛まなければ心配ないよ。気になることがあったらすぐおいで」
「ありがとう、お兄ちゃん」
 そう言って草履に足を通す少年は、ふと不思議そうな顔をつくり振り返る。
「…ねぇ、お兄ちゃんの名前って?」
「村の誰に聞いても、知らない、って言うの」
 困ったように眉尻を下げて青年は笑う。
「薬屋さん、とか、お兄ちゃん、でいいのに。俺の名前は、今のところないからね」
「ないの?」
「大切な人に、預けてきた。だから今はないってことさ」
「返してもらえばいいのに…」
 不思議そうに俯く少女の頭を、青年が無言で優しく撫でた。


 忘れないうちに仕舞っておこうと薬箱を抱えれば、持ち手に結ばれた銭が蓋にぶつかり、ちりん、と音を立てる。青年はしばし躊躇して床に戻すと、黒ずんだそれを掌に収めた。
 …ごめんねー、本当は返すつもりだったんだ。嘘じゃないよ。でも、今更だし、コレ頂戴よ。
「交換ってことで、まぁひとつ」
 気の抜けたため息を吐いて、青年は立ち上がった。

「戦国」









 逢いたかった、逢いたかった。
 漏らし続ける佐助をまわした腕で力一杯抱きしめる。幸村は安堵した。別れてから幾度も繰り返し見た幻ではない。あの幻は触れただけで消えるが、この胸でしゃくり上げる彼は心地良い体温をいつまでも残してくれた。
「よく、戻ってきてくれた。佐助」
「やっぱり揺らいだ!こんな俺がこれからも旦那と居られるわけがないのに!どうして。忘れさせてくれないんだよ。全部、預けたつもりだった。俺の全ては、俺の手を離れた筈だったのに」
「お前の全てが某の中にあるように、某の全てもお前の中にある。それでいい」
 昔からそうだ!とほとんど叫んで吐き捨てると、佐助は大声を上げて泣き出した。仕方のない奴だ、と腕一本分軽くなった身体を引き寄せて、幸村は鼻の奥が痛むのを堪える。

「戦国」









 不器用すぎるよ、お前らは。
 或る時、遙か遠くの海を統べる鬼は、苦笑混じりに言った。

 気にくわねぇ、得ること以上に失うことばかり怖れやがって。
 また或る時、北の地に棲まう竜は、かんに障る笑みを浮かべて言った。

 その答えを求めるために、たびたび心を磨りへらすひとりの忍がいた。
 そんなことなど露ほども知らず、ただひとりへ叫び続けるひとりの主がいた。

 そしてこれもまた或る時。
 忍はふと、隣り合った主の手が自分のそれと微かに触れあっていることを感じた。視線は寄こさない。しかし、気が付いていない風ではない。
 自分の身体が邪魔なのか。この忍はなにかと気が利いた。一歩下がろうと足を踏み出す。すると主は慌てて離れた彼の手を追い、握りしめた。忍は目を丸くする。
「あ、さ、佐助!」
 主の頬は太陽で染められた以上に赤かった。そこで合点する。
 彼は、自分と、手を、繋ぎたかったのだ。ただ、それだけ。
 どれだけの間迷っていたのだろうか。日々の鍛錬で作っては潰し、治っては作り続けた肉刺だらけの掌は、うすく汗が滲んでいた。
「しめっぽい」
 やっとのことで浮かんだ言葉を紡げば、主は慌てて離そうとする。
 忍はそれを拒んだ。逃げる手を、今度は逆に力を込めて捕まえる。ころころと赤く青く顔色を変える主をのぞき込み、短く息を吐いた。
「そんなんで嫌うかよ、いまさら」
 人を食ったようないつもの表情をつくれば、いくらか安堵して見える口元に笑みが溢れる。主もまた、指に力を込め握りかえした。
「旦那は意外と怖がりなんだ」
「そうかもしれぬ」

「戦国」