晴天マンデー











 向かう途中、しつこいくらいコールしたが携帯の持ち主は出なかった。いつものことだ。留守電にメッセージでも残そうかと考えたが、やめた。二度手間になることは間違いない。どうせ自分が着かないことには、彼がそのメッセージを耳にすることはないのだから。



 月曜日。また一週間が始まる。



 元親はマンションの部屋の前に立つと、立て続けに5度チャイムを鳴らしてやった。インターホンのマイクが入る微かな音が聞こえると、開けろ、と催促する。程なくして扉の鍵の開く気配。
 現れたのは寝乱れたTシャツにほとんど瞑った左目、あちこちに向けてはねた髪の毛を引き連れた、べらぼうに朝が弱い政宗だ。挨拶を返してこないことから察するに、脳はまだ週末気分を満喫している。それもいつものこと。
 部屋に侵入するととりあえず、抱えてきた学校指定のバッグを廊下の途中に投げ置いた。ペンケースが音を立てる。
 夢から覚めやらない政宗を洗面所に送り出すと、キッチンにある食器棚を開け、整理整頓された中から深い皿をひとつ。その隣にある高めの棚から、封の開いた箱を下ろすと中身のシリアルをそれにあけ、冷蔵庫から取り出した残り少ない牛乳をなみなみと注いだ。最後にスプーンを付けると、立派な朝食のできあがりだ。
「残ったコレ、飲んでもいい?」
 元親は、着替えも済ませて戻ってきた政宗の返事も待たず、パックに口を付けて一気に飲み干す。ここまで走ってきたから喉が渇いた。うまい。
 目はかろうじて開いていても、意識はほとんど覚醒していない。朝の政宗は、基本的に行動の全てが緩慢だ。それ故、こうして元親が訪ねて世話を焼かないと朝食を食べることはおろか、学校にも来ない。特に週初めはその傾向が強かった。誰か起こしてくれる人がいればまた違うのだろうが、生憎同居人はいない。
 高校生で独り暮らし。政宗本人によると、些細で一般的な家庭の事情らしい。
 元々、言葉の裏だとか真意だとかを察するのが不得手な元親だから、どういった意味を持っているのか到底わかり得ない。それでも、彼の言う「一般的」には首を傾げてしまう。
 学生の身分でありながら住まいは新築マンション、値がはる代わりに広くて綺麗だ。バイトは面倒だからする気なんてないと言うくせに、生活に困っている様子は一切無い。たまにかかってくる電話は、実家で雇っている使用人だとか。父親の職業について尋ねたことがあるが、小難しいことを言っていた。ようするに、海外に進出した企業の社長で、そのままあっちで生活しているというのは聞き取れた。
 つまり、政宗は将来有望な御曹司、次期社長候補か。不覚にも、彼の下で働く自分を想像して、あらゆる意味でぞっとしてしまった。もっと気の利いた冗談を思いつくべきだ。
 そうこうしているうちに、壁時計の針はバス時刻へと迫っている。元親は急かして皿を空にさせると、政宗を引きずって外へ出た。
 この時間帯なら、朝のラッシュに巻き込まれるのは必至。なんてついていない月曜。





「じゃ、お留守番よろしく。ちゃんとえさも用意したから」
 佐助はしゃがみ込んで愛犬と向き合うと、その頭をひと撫でした。賢そうな顔が一瞬崩れて、つられて笑ってしまう。再度撫でると満足したようで、佐助から離れるといつものソファに飛び乗り丸くなった。そして、ぴくりと垂れた耳を動かす。聞こえてきたのは甲高い、自転車のブレーキ音。
 ほら来た、いってらっしゃい。声を当てるとしたらこんなところか。組んだ前足に顎を乗せ、真ん丸の目でじっと見つめてくる。
 佐助は、うんいってきます、とすぐ近くに準備してあったバッグを提げ、できた留守番犬に手を振った。大きな尻尾を振り返されたように見えたが、すぐドアを閉めてしまったのでよくわからない。
 今日ははれ。降水確率午前午後ともに20%の予想。ニュースで見た天気予報通り、外はいい天気だ。玄関の鍵が閉まったのを確かめ、佐助は軽快にステップを駆け下りる。
 その姿が見えると、自転車に跨る幸村が朝から元気に、おはよう!とにっかり笑った。
「おはよ旦那、おまたせ」
「忘れないうち伝えておこうと思うのだが」
「なに?」
 佐助は幸村のバッグを受け取りながら、背中合わせで後部に腰掛ける。
「来週から朝練が始まるから、朝迎えに来られないでござる」
「あぁ大会近いんだっけ?」
 見えなくても、幸村がどんな顔をしているか手に取るように分かってしまうのは、幼馴染みであるが故。
「お疲れ様ー」
 そんなに済まなそうな顔されると、こっちが困るなぁ。
 ぼんやり、労いの言葉と一緒に肩を軽く叩いてやりながら、考える。
「大丈夫、確かにちょっと不便だけど。代わりに旦那、ちゃんと練習しなよ。今回も優勝で決まりだろ?」
「もちろんだ、連覇がかかっているからな!」
「あーらら。そんな簡単にいくもんじゃないでしょーが」
 佐助は自分のバッグから、出し忘れていた携帯を手にする。開くとディスプレイにはポップな文字のデジタル時計。そろそろ機種変もしたいよなぁ。
「さ、今日の目標は?」
「12分25秒!」
 言うなり、幸村は勢いよくペダルをこぎ出した。ほんの少しぐらついたが、持ち前の運動神経を駆使して踏ん張る。自転車が軋んだ音を立てながら風に乗り始めた。
 仰いだ空は、文句なしの晴天だ。





 おいおい勘弁してくれ、ついでに遅刻も勘弁。ペナルティは面倒だろ。
 元親は携帯から目を離し、閉じるとポケットに押し込んだ。
 背後で改札が締まる音がしたから振り向くと、案の定、政宗は閉め出されていた。定期は?と聞くと、元親の持つバッグを指す。なるほど、降りる時置き忘れないようにと持ってやったのがいけなかったか。
 政宗の背後では、まだ若い企業戦士があからさまに迷惑顔をする。きっと急いでいたんだろう。隣の改札を通り抜けるのを横目で窺い、そっと心の内で謝りながら元親は、政宗のバッグから定期を漁り出し手渡した。
「ほら!」
 ゆっくりとした足取りの政宗は、そのままベッドに戻りたがっている。
 しかし、だ。急がないとこのままでは遅刻してしまう、ここは鬼にならねば。無事に改札を抜け、西口から学校へと続く歩道を足早に歩き出した。やはり政宗を引きずりながら。
「まーさーむーねー、いい加減起きろって。お前、そんなに寝て健康にでもなるつもりかよ、むしろ寝過ぎで病院行くハメなるぞ?聞いてんのか、このっ」
 元親の訴えは、そのほとんどが政宗の耳に届いていないだろう。朝から大きな荷物を抱えたものだ。
 と、後ろから聞き慣れた声が近づいてくる。
「政宗殿と元親殿かっ?!」
 あそこまで寝起き良くなくてもいいんだけどよ。
 トレーニング代わりにと、佐助を自転車に乗せてやってくる幸村と政宗を比べようとして、元親は諦めた。
「おはよー。今日もだるそうだね」
「わかってんなら助けてくれよ佐助〜」
「あはは」
 ぎこぎこと、それでも歩くよりは確実に速く、幸村と佐助の二人を乗せた自転車が走っていく。そして追い越しざま、佐助はぐっと身を起こして、元親にだけ聞こえるように意味深な言葉を残した。

 で、昨日はお盛んだったわけ…?

「な、なな…!!」
 途端、元親は動転して回らない口を必死に開いて、もう手は届かない距離だというのに握った拳を振り上げる。やわらかいものを殴る感触に隣を見ると、ぐらりと揺れる政宗。
「…いってぇ…」
「これくらい避けてくれよ!」
「元親殿、顔が赤いのではー?」
「はーい旦那、前見て進んで!俺、ケガなんて真っ平ごめんだよ〜」



 校舎へと続く坂道を競って登る。真っ青な空に、目に痛いほど照る太陽。
 そんな今日もいつも通り。















(2006/03/05)
学園日常風景。朝から大変です。