ひとはだの世界
世界が、温度をもっていくのを感じた。
それまでの政宗にとって世界とは無機質で、無表情で、触れるのに躊躇してしまうほどとてもとても冷たいものだった。
マンションの外では、しとしとと静かに雨が降る。
普段と同じく、誰とも顔を合わせないまま終わってしまうと思われた休日は、突然の来客で見事に狂わされた。
日も昇りきった正午、元親がびしょ濡れの姿で政宗の前に現れたからだ。曰く、家を出る頃は小雨だったから手ぶらで来たが途中から雨足が強くなったそうだ。正直、呆れる他なかったが、風呂貸してくれ、と眉を下げて頼まれると、溜め息を吐き苦笑するしかなかった。そんな顔しなくとも、放っておくなど有り得ないのだが。
雨の降る日はなんとなく気分が乗らない。
外に出れば傘からはみ出た肩口やジーンズの裾が濡れるし、洗濯物は乾かないし。いいことなんてひとつも思いつかない。気が滅入って全てが億劫になる。
政宗はそう考えているのだが、どうやら元親はそうでもないらしかった。
「そりゃあ雨自体は好きってほどじゃねぇけど…」
「でも、嫌いではないんだろ?」
風呂から上がった元親は、下着一枚にバスタオルを羽織った格好で、ううん、と唸り腕を組んだ。そんな格好じゃあ濡れたままでいるのと変わらないだろ、と政宗はソファに座って見上げながら密かに思う。
「そういや昔、な」
「昔?」
「まだちっちぇ頃、長靴と合羽で水溜まりに入って思い切り蹴飛ばすの好きだった」
一瞬の沈黙の後、政宗は一言、そうか、とだけ答えた。元親が不思議そうに小首を傾げながら曖昧に笑い、はっとする。
「あ、もしかして、テメエ。餓鬼だとか思ったろ。ちっちぇ頃だっつの!」
「Ah、どうせ今もやってきたんだろ」
「今もって…、それいいな。やってくりゃあ良かった」
きらきらと輝きだした元親の瞳に、要らないことを言ってしまったようだと気がつき、政宗は顔を顰めた。苛立ちを誤魔化すように、こっちに来い、と半ば有無を言わさず招き寄せ、立てた脚の間に元親を落ち着かせる。
「あんだけ濡れてきたんだ、もう充分だろ。おら頭拭けよ」
「なんだよ〜。政宗が拭いてくれるんじゃねぇの?」
膝を抱えて元親が振り向く。こんな図体のでかい男がやってもかわいいと感じるのは、俗に言う欲目という奴なんだろうか。しみじみ考えて、政宗はとりあえず目の前の頭をタオルごと抱え込むことにした。前が見えないだの多少うるさいが、体重を掛けてフローリングの床に押しつけてしまうと途端に静かになる。身体を捩って反転し向き合った元親の両目が、政宗を見つめた。口元がにやりと持ち上がっている。
「いつだってこういうことしか考えてねーのな」
「お前が裸同然の格好でうろついてるのが悪ぃんだよ」
それに存外乗り気だろう、と政宗が問えば、元親は答える代わりに喉の奥で笑ってみせた。
温かい指先が政宗の項を辿り、やがて縋ってくる。そっと顔を寄せ、唇を重ねた。元親のそれは随分と熱い。風呂上がりだからだろうか、それとも自身が冷えているからだろうか。ぬめった舌を絡めながら考えに耽っていると、容赦なく歯を立てられた。
「てめ…!」
「残念。食いちぎれなかった」
元親はべろりと舌を出して、肩を震わせながら笑う。
本当は腹立たしかったのだが、そんな彼を前にすると怒りを持続させるのも面倒くさくて政宗は軽く舌打ちしただけで終わらせた。
そろり、といくらかの躊躇を見せて元親の掌が衣服の上を撫でさすってゆく。覗き込んだ瞳に映り込んだ自身が思いの外情けない顔をしていて、笑えた。
これ以上はもう駄目だ。その温かさに触れられると繕っていることが出来ない。
「…政宗?」
腕を回しきつく抱き締め、呆ける元親を閉じ込める。濡れた白銀からじわりと水分が滲んでくるのが分かった。それでも構わない。二人でいれば冷えることなどないだろう。
人肌に温まった世界は、ずいぶんとやさしく深く、この身を飲み込んでゆく。
(2008/11/15)
先日のエチャで「お風呂上がりに頭を拭いてあげる」というお題をいただいたのですが…拭いて、あげ…?
えろくもない、ですね。あれあれ〜?(笑顔)
リハビリがてらに書いてみました。許して、もらえる、だろうか。