ぼくのしらないきみ
マンション指定の収拾ボックスの外へ転がっている缶を見つけて、政宗は舌打ちした。夜も遅く、周りに誰も居ないので遠慮は見られない。何処のどいつだ?このクソ野郎が。流石に心中で口汚く罵り、苦労して持ってきた段ボールその他諸々嵩張るゴミたちを捨てるついでに、その空き缶も投げ入れた。多少潔癖性のきらいがある政宗は半ば本気の憎しみを込めて、ボックスの蓋を閉める。
あの名ばかりの管理人、今度こそしめてやる、今度こそ。
ちょうど1ヶ月前の人事異動でこちらの職場に来てから、忙殺される日々に堪忍袋の緒は擦り切れている。今なら冗談抜きで殴り込みに行けそうだ。
一向におさまらない苛立ちを抱えたまま、ふと視線をやった先に何やら塊のような物が見える。政宗は訝しく、眉根を寄せて身構えた。
ぴくりとも動かないそれは、野良猫や野良犬の類にしてはでかすぎる。街灯の明かりから少し離れているせいでシルエットしか確認できない。無意識に足音を殺し、手を伸ばせば触れられる距離まで詰めた頃になってようやく、それが倒れている人間だと気がついた。政宗は咄嗟に駆け寄る。
「おいっ」
膝をつき覗き込んだ顔は火照ったように赤い。いくらか酒臭く、そう言えば先程投げ捨てられていた缶はビールだったと思い至る。掌に触れる体温は、服越しでもはっきりと感じるほど熱い。
間もなく、う〜ん、と唸り出した様に、政宗の肩から一気に力が抜けた。一人で肝を冷やした自分が馬鹿らしい。怒りを覚える余力すら残っていなかった。
こういう時は救急か、はたまた警察か。
項垂れたまま考えていた政宗の耳へ、微かな声が飛び込んでくる。どうやら目の前で潰れている人間が発したようだ。
まさむね…。
聞き間違いでなければ、低めに掠れた音色でそう囁かれた。
偶然、なのだろうか。
ぐずるように再び唸って寝返りをうち、現れた彼の左目には、自身の右目と同じく眼帯が当てられていた。
行き倒れの青年の名は、元親というそうだ。目を覚ました彼へ問えば、意外とあっさり答えた。
あの後、まさか放置しておくのも忍びなく、政宗は一回りほど大きい彼の身体を苦労して抱え部屋へ帰り、とりあえずソファに転がしてみた。悪酔いしていることを除けば、その他特に問題は無さそうだと判断した。ただ、だらりと床へ垂れ下がった彼の手の甲が傷つき、多少の血が滲んでいたので、未だ整理の終わらない引越の荷物の中から救急箱を探し出してきて、かるく消毒しガーゼを当てて包帯を巻いた。その手当が終わる頃、元親は薄く瞼をあけ、眩しそうに瞬きをしたのだった。
気分はどうだ、と尋ねれば、腹が減った、と間抜けな返答が返ってきた。萎えた怒りが湧き上がることはもう無く、ゆっくりと視線を合わせ起き上がった元親へしばらく待つよう伝える。
間もなく、美味そうに湯気を立てるお粥が運ばれてきた。
「急ごしらえで悪いな」
盆ごと受け取った元親は、始めこそ逡巡してみせたが一度口をつけると残りをほとんど流し込んだ。あっという間に器は空になり、おかわりした分まで綺麗に胃へおさめられる。その勢いにあんぐりと口を開けて見守る政宗を尻目に、追加で出した残り物のサラダもぺろりと完食したところで元親は両手を合わせた。
「一応聞くが、アンタはどうしてあんな所で倒れてたんだ」
「えっと、家出?です?」
記憶にある親と顔が違う“今”の親を、別人としか思えなかったから。
政宗が元親の特別な事情など知る由はない。ふぅん、と気のない返事を返しながら空の食器を下げ終わった政宗は、一人掛けのソファへ腰を下ろし、足を組んだ。元親が所在なさげに、ちらちらとこちらを窺う。
「もうひとつ。俺とお前は知り合いだったか?悪ぃが思い当たらなくてな」
「…思い当たりがねぇなら、違うんだろ。きっと」
しきりに毛布を指先で弄ぶ元親が首を振った。その仕草はどこか拗ねているようにも見える。
ただし、どうして拗ねているのか分からない政宗は、そうか、と知らぬ振りをして答えた。ここあたり、彼が非常に淡泊だと言われる所以である。
元親は勢いよく頭を上げた。
「お、俺!どこも行く当てが無いんだ!家を飛び出して来たはいいけど…もう一文無しで…」
尻窄みに消えた言葉を待って、政宗は立ち上がる。欠伸を噛み殺しながら、再び俯いてしまった元親へ肩越しに視線をやった。
しばらくの沈黙の末、政宗が顎で示したのは、まだ開封もされていない段ボール箱の山だった。殺風景な部屋に積み上げられている様子はある種圧巻だ。これでは引越するのか終わったのか、皆目検討がつかない。
元親は目を瞬いた。
「…へ?」
「置いてやるよ。しっかり働くなら、な」
「いいのかよ、あ、いいんですか?」
「いつまでも荷物が片付かない方が俺にとっちゃ死活問題だ。それに…ここには眼帯が腐るほどある。アンタにも好都合だろ」
そう言った政宗は歩み寄り、上半身を折って視線を合わせた。自身の眼帯で覆われた右目で、同じく隠れた元親の左目を覗き込もうとする。
からかいの意味を込めたものだったのに。元親は小首を傾げて、正面から見つめ返してきた。怯えたり嫌がったりする様子はない。緩慢な動きで身体を起こした政宗は、舌打ちとも溜め息ともつかない曖昧な音を溢した。調子が狂う。
「なぁ。アンタ変わってるな」
「見ず知らずの俺を匿ってくれるそっちの方が変わってると思うけど」
「自分で言うかそれを。ま、そうだな…」
腕を組んで神妙に考える素振りがどこか可笑しくて、元親は噴き出した。む、と睨みつけてくるのがまた笑いを誘う。
ああそうかよ、こっちはペットくらいにしか思ってねぇんだ。それを忘れんなよ。
こうして一人と一匹(仮)の同居生活は始まったのだった。
(2007/12/28)
「きみのペット」設定へと続きます。思い浮かんだ順番がバラバラだったので時間軸も前後してしまいました。
戦国時代の記憶が残っているのは元親だけで、政宗の方は綺麗さっぱり忘れている様子。一応年齢は元親19、政宗26,7くらいで考えてもらえれば宜しいかと。年齢逆転したおかげで元親は存分に甘えられるようになったんじゃないですかね?(笑)