Higher
*トランスポーターパロです。元親が運び屋です。
その筋の者なら、彼の噂を耳にしない日はないと言っても過言ではない。
ダークスーツを身に纏い、日系の名には似合わない若白髪。すらりと引き締まった体躯は縦に長く、サングラスの奥に隠された瞳は左右非対称なのだとか。仕事の相棒として所有している高級車はどれも改造済みで彼の類い稀な運転技術によってその力を遺憾なく発揮する。彼は腕っ節も滅法強かった。特殊部隊に所属していたという話だ。軽々しく喧嘩を売ろうものなら地面と熱烈なキスを二度三度とかますことになる。今ではそんな命知らずは殆ど見かけなくなった。
彼の名は、元親。腕利きの運び屋だ。
元親はブレーキを踏む足に力を込め、ゆっくりと交差点で愛車を停止させた。しばしの間、シートへと背を預ける。
今日の依頼も無事達成できたことだし、自宅へ帰ったら祝杯をあげることにしよう。ちょうど、自身へのご褒美にといつもより高級なワインを買ってあるし、先日見つけた美味い生ハムも冷蔵庫に残っていた。きっと合う筈だ。緩む頬を無理矢理引き締め、元親はハンドルを握り直す。ここで事故でも起こしたら全てが台無しだ。安全運転第一、無事帰宅するまでが仕事。密かに心の中で繰り返す。
と、コツコツ、と硬質な音がすぐ耳元で聞こえた。振り返れば、いつの間にか近寄っていたのか、一人の男が外から運転席側の窓をノックしている。
元親は眉を顰めた。ただいまの時刻、夜中の二時。こんな遅くに、こんな郊外の道路を一人でふらついているのはおかしい。しかも男の格好はロングコート、シャツ、ブーツ、加えて頭髪すら真っ黒に統一されている。ともすれば、夜闇に混じって消えてしまいそうに思えた。
訝しむ元親を尻目に、男は早く早くと催促してくる。このまま走り去ることもできたのだが、実は生来お節介な元親は警戒しながらも目元だけ見える程度にパワーウィンドウを開けた。
「Hey,アンタが元親?」
ガッ、と男のこれまた真っ黒な革手袋に収まった指がガラス窓の縁にかけられる。
なんだか、嫌な予感がした。
「なんのことだ?人違いだぜ。俺は早く家帰って寝たいんだ」
「俺を乗せてってくれよ。金なら腐るほどある」
「タクシー扱いすんなっての」
大体、そうなのだ。元親がお節介を発動させるともれなく高確率で厄介事もついてくる。
やっぱりやめておけばよかったと思っても、後悔先に立たず。耳の痛いことだ。先人は現代においても教訓となる言葉を残してくれている。
「腕のいいTransporterなんだろ」
「…あいにくだが、依頼なら正式な形で」
その時だった。
耳を劈く破裂音。ヒュン、と風を切ったかと思えばパラパラと車体に降り注ぐ衝撃。そこら中に跳弾して民家のガラスの割れる音がする。
元親は反射的に伏せた。間違いない、銃声だ。
「お前のしわざか!」
「いや?強いて言うならアンタが原因だな。俺は巻き込まれた側だ」
「なんだよそれ!」
男もまたしゃがみ込み、元親の車の陰に身を潜めていた。しかし剥き出しの身体が標的にされるのも時間の問題だろう。
なぁ。男はスモークガラス越しにも関わらず。器用に視線を合わせてくる。
「俺を乗せてくれたら、詳しく話してやるぜ?」
「ちくしょう…!」
選択肢なんて最初から存在しないじゃねぇか!
今すぐにでも男の胸ぐらを掴んで引きずり回し、強引に口を割らせることも考えたが、激しさが増す銃弾の嵐にそれは不可能だと悟った。元親はあからさまに舌打ちをする。手元のスイッチを操作すれば軽い音を立ててドアが開錠された。男は当たり前のようにするりと車内へ滑り込んでくる。全く腹立たしいことこの上ない。
「ちゃんとつかまってろよ!」
信号が青に変わるのを待たず、元親はギアを入れ替えエンジンをふかす。
元親は躊躇なく、アクセルを思いきり踏み込んだ。
「うおっ!」
「舌。噛みたくなかったら口、閉じてろ」
バックで走り出した愛車は背後から距離を詰めていた襲撃者たちの数センチ手前でぴたりと止まり、再び急発進する。やられてばかりは気に入らないので軽いジャブのつもりだったのだがどうやら激怒させてしまったらしい。一層激しい銃弾の雨嵐が追いかけてくる。元親は鼻で笑ってやった。この相棒をその程度で傷つけられると思ったら大間違いだ。改造に改造を重ねて、細部の細部までこだわり調整している上、元親の運転技術にかかれば振り切ることなんて造作ない。
背後を振り返っていた後部座席の男は、すっかり寛いだ様子で足を組み、口笛を吹いた。油断はできない。
確信はないものの元親はおそらくこの男を知っている。
「…事情を説明してもらおうか。"レディー・キラー"」
バックミラー越しに見やれば、男は愉快そうに片眉を持ち上げた。返答がないということは肯定の意味だろう。
レディ・キラー。
その男は気まぐれな殺し屋と聞く。気に入らなければいくら大金を積まれても依頼を突っぱねるし、依頼主を殺すことすらあるそうだ。
彼がレディ・キラーと呼ばれているのには理由がある。
標的が女性の時に限り、より残虐性が増すのだ。あまりにも非道な手段に裏の世界でも彼は異端の目で見られている。
「アンタに知ってもらえてるなんて光栄だね。元軍人の天才トランスポーターさん?」
「退役したのはずっと昔の話だ。今じゃ車を走らすしか能がねぇ」
「To our regret,他の奴はそう思っちゃくれないらしいぜ」
眉を顰めた元親へ、男は顎で背後を示す。バックミラーには闇夜に紛れて疾走する車が数台映っていた。窓から身を乗り出してサブマシンガン等を構えている姿が見える。もう追いついてくるとは予想外だ。
向こうもそれなりに走れる奴をつれてきたらしい。
男ののんびりとした口調にただでさえ気の長くない元親は苛立った。
「お前の仲間だろ」
「No.確かに俺はアンタを始末するよう依頼されて来た。だが、あいつらなんか知らねぇよ」
「…今すぐ降りろ。俺は自分の命を狙う奴と同乗できるほど怖いもの知らずじゃねぇ」
「聞け。俺もはめられたんだよ。どこの奴らか知らねぇが、大方まとめて葬ろうって算段だろうな。で、提案だ。俺と手を組まないか?元親」
男の真意を計りかね、元親は口を噤む。法定速度無視のスピードを保ち走り続けながら、なるべく冷静に思考を働かせた。
そんな元親を知ってか知らずか、男はさらに続ける。
「利害は一致している筈だろ。俺はコケにしやがった奴らをぶっ潰しに、アンタはどうして自分が狙われたのか問いただしに行く。違うか?」
「…俺はお前を信頼できない」
「OK.俺がアンタの味方だってことを明らかにすりゃあいいんだな」
男の口調はどこまでも軽々しい。
それがさらに疑いを深めていることを彼は理解しているのだろうか。
「まずは自己紹介といこうか。俺は政宗。レディ・キラーって通り名は好きじゃねぇ。名前で呼んでくれ」
怪訝そうな顔つきを崩せずにいる元親を放って、政宗と名乗った男はパワーウインドウを開け放った。タイヤの焼ける匂いに混じって、銃弾が装甲と防弾ガラスに弾かれて飛んでいく甲高い音がする。先程から隙あらばタイヤを狙われていた。いくら特殊素材だからといって銃弾を受けて穴が開かないわけではない。なるべく当たらないよう左右に振りつつ走り続けている中、政宗はためらいなく窓から大きく身を乗り出し拳銃を構えた。
元親は慌てて振り向く。
「馬鹿か!お前!落ちたかと」
「よそ見はしてくれんなよ、ほら前」
視線を前方へと戻すと正面から大型トラックのヘッドライトが迫ってくる。鳴り響くクラクションが耳に痛い。元親は歯を食いしばり、ハンドルを勢い良く切った。
途端、ふわりと体重を奪われたような感覚が二人を襲う。次いで車体の片側だけが器用に浮いた。構わず、元親は絶妙なバランスとスピードを保ちつつ車体の底を見せたまま、トラックの脇すれすれを走り抜ける。元親の運転に合わせて調整させたサスペンションにかかれば、こんな着地の衝撃など屁でもない。
これくらいの芸当、かるいものだ。
しかしそういえば今日は同乗者が居たのを忘れていた。まさか振り落としてはいないだろうな。
と、後ろの車が一台、突然スピンした。続けて発砲音。出所はかなり近い。見やれば、政宗は不安定な体勢でどこから取り出したのか遠距離に特化した拳銃を構えている。右目は眼帯で覆われているというのに、かなりの腕前だ。早くも二台目が街灯へ衝突し、無様にひしゃげて走行不能になっている。
残りはあと一台。
「しつこい野郎は嫌われるぜ」
政宗の構える銃口が一点を狙ってピタリと制止した。大胆さと繊細さを兼ね備えた一撃が迷いなく放たれる。
銃弾が運転手の眉間を寸分の狂いなく貫く。あっという間に制御を失った車は暴走し、舗装された道を飛び越え、何度か横転を繰り返した末ようやく止まった。
元親はほっと小さく息を吐き出す。
アクセルから徐々に足を離し、スピードを緩めていく。バックミラーに映る政宗は一仕事を終えた疲れからか、深く腰掛け俯き気味だ。
「さすがレディ・キラーの異名を…、って嫌なんだっけ。すまねぇな。なかなかのお手並みじゃねぇか」
返事は、ない。元親は眉を顰める。
「政宗?」
段々と傾いでいく身体には力が入っていない。元親はブレーキを思いきり踏み込んだ。シートから身を乗り出し、慌てて振り向き腕を伸ばす。
触れた途端、ぬるりとした生温かい感触が掌に伝わった。血だ。
「おい!撃たれてるのか!」
「…道理で…これに乗り込む前から、腹が熱いような苦しいような気がしてた筈だぜ…」
「阿呆かお前は!」
どす黒い液体がじわじわと広がり、革張りのシートの上を流れていく。出血が酷い。政宗の顔色はみるみる青白くなり、呼吸も些か浅く速くなっているように感じる。
ちくしょう。元親は一度吐き捨て、ハンドルを握った。
ここからならアジトまでそれほど離れていない。応急処置しか出来ないが、しないで放っておくより数倍もましだ。それに、よく世話になっている闇医者に連絡すれば手術道具でも持ってすぐに来てくれることだろう。元親はダッシュボードを探って携帯を取り出す。
「俺の前で死ぬんじゃねぇぞ…!」
元親は呻くように呟いて、アジトまでの道を急ぎ駆け抜けた。
(2011/04/28)
この後、元親のアジトで目を覚ました伊達は「ここは天国か?」と聞きます。