シアトリカル











 家康から渡された地図によると、政宗と思わしき店員がいるダーツバーは元親の会社の最寄り駅から乗り継いた先の中核都市にあるらしい。
 ホームにちょうど到着した電車に身体を滑り込ませ、元親は入り口近くに立った。扉が閉まり元親がそっと窓へ額をぶつけると、重量のある車体はゆっくりと走り出す。
 もしその店員が政宗だったら。
 いや、そもそも本人かどうかわからないのだが。けれどもそうだったらいいな、とも思うし。かと言って、会って何を話したらいいのか皆目検討もつかない。元気か、久しぶり。そういうのは違う気がする。もちろん昔のことについて、突然消えたことも含めて問い詰めようなんてこれっぽっちも考えてもないから、やっぱ迷う。知りたくない訳でもないんだけれども無理に聞き出すのは絶対にしたくねぇ。我慢できるかちょっと自信ないけど。
 まぁ、だから、政宗かどうかはまだわかんないんだって!
 日中も始終そんな調子で、仕事が手に着く筈がなく。社員たちには心配されるわ叱られるわで、今日の分の業務が終わったと確認されるや否や急かされつつかれ、追い出されるに近い形で退勤してきた。幸いにも優秀な社員に恵まれているから後のことは任せて問題ないのだが、如何せん、元親の気持ちの整理が済んでいない。
 一体、どんな顔をして行けばいいんだろう。
 考えても考えても答えが出ないまま、電車から降り、改札を抜け繁華街がある大通りを横目に小道へ入りしばらく歩くと、迷うことなくあっという間に件の店の前に着いてしまった。
 元親は手にしていた地図をぐしゃぐしゃに握り、ポケットの奥へと仕舞い込む。
 使うのは一度きりだと決めていた。
 地下に続く階段は薄暗い。下りていくとopenの札が掛かった古めかしい扉が現れた。元親は意を決して手をかける。厚い扉は想像したよりもずっと重かった。
 カランコロンとベルが鳴り響く。今時の店内の内装には似つかわしくない古めかしい音だ。元親は様子を窺いながら奥へと進んだ。まだ時間が早いからか、客の姿は見えない。
 そういえば生まれてこの方ダーツなどしたことがないから、どういったシステムになっているか元親にはさっぱりわからなかった。それなのに飛び込んでしまうあたり、我ながら呆れてしまう。突き当たりに備えられていた無人のカウンターに背を預けて、大人しく店員が来るのを待つ。
 その時だった。
 いらっしゃいませ。背後から掛けられたひどく気怠げな声音に元親の全身は強張る。心臓が不自然な鼓動を刻んだ。
 振り返らなければ。そう思うのに、身体が動かない。
 まさか、そんな。喉に言葉が詰まって何も言えない。
「お客さん?」
 確信するしかなかった。ここまできて、間違える筈がない。
 向こうが短く息を飲んだ気配がした。
 その心地よく響く声。驚愕に見開かれた切れ長の瞳。夜の闇と同化してしまう漆黒の髪。頑なに右目を隠す眼帯。
 すべてあの時、あの日のまま。
 伊達政宗が目の前に居た。
「…元、親…?」
 答えることはできず。元親は目元を掌で覆い、長い長いため息を吐いた。

  *  *  *

 元親と政宗は、店の裏口に並んで立っている。ここは店員たちが使う出入り口らしかった。
 あれからしばらく無言で見つめ合っていたが、いち早く我を取り戻した政宗が店長に断りを入れ、時間を割いてくれたおかげで今に至る。気の利いたことが言えたらいいのに。未だに真っ白な元親の頭では何も思いつかなかった。
 本物だ。幻ではない。本物の政宗だ。
 再び会えたならきっと号泣してしまうと思っていたのに、意外にも涙は引っ込んだままだ。まだ現実を受け入れられていないのかもしれない。
 秋も終わり口。外は少し風が吹いていて肌寒いくらいだ。
 元親は手を擦り合わせて、その場にしゃがみ込む。ちらりと政宗の方を窺うと、政宗もこちらに視線をやっていたようで、目が合った。慌てて逸らしてしまう。そろそろ怖くなってきた。別の意味で泣きたい。元親は組んだ自身の腕に顔を埋めた。
 ふ、と政宗が吐息で笑う。
「そんな怯えんなよ。幽霊じゃないぜ、足があるだろ?」
「お前…」
 どこか表情はかたいものの、政宗は冗談を口にした。政宗だって緊張していない筈がない。わかったら少し楽になった気がして、元親は詰めていた息を密かに吐く。
 政宗らしい気の遣い方だ。ちっとも変わっていない。それに甘えてしまう自身は全く成長が見られないということだろうか。元親は考える。
 どこから話したもんかね。政宗が小さく呟いた。
「信じてもらえそうにないのはわかってる。それだけのことをやらかしたからな。でも、これだけはどうしても直接言いたい」
 今度こそ逸らさず、真っ正面から視線を交わす。
 あの日もこうして向き合ったことを元親は苦々しく思い出した。まさかこんなにも長い時間、離ればなれになり再会するまで掛かるなんて微塵も考えていなかった。
「あの時、アンタのことを、その、嫌いだとかわざと傷つけるようなことを言ったかもしれねぇが真っ赤な嘘だ。誰よりも大事にしたいと思ったから、黙って消えた。本末転倒なことはわかってる。だが、ああする以外に何も思いつかなかった」
 元親は瞬きをする。
 どれだけ思い返してみても、政宗がそんなことを口にしていた記憶がないのだ。この八年間、ずっとそうやって自分自身を責めてきたのだろうか。元親は胸元をぎゅうと握り締めた。
 そんな悲しいこと、二度と御免だ。
「もう、昔の話だ。済んだことはどうにもできねぇし、俺が望んでるのは…わかるよな?全部話してくれ」
 元親には違和感を覚えていることがある。
 政宗が年を取っていないように見えるのだ。
 あの日、あの時の記憶に居る政宗と、目の前の政宗があまりに整合しすぎていた。それこそ、時間でも止まらなければ有り得ない。
 政宗は観念した様子で短く、ああ、とだけ答え、目を伏せた。

「…不老長寿?」
「ああ」
 ある一定の年齢に達すると身体の成長が止まってしまうのだそうだ。
 だから、その延長線上にある老化は世間一般と比べて非常に緩やかで、むしろ殆ど変化しないと言っても差し支えない。
「なんで?」
「知らねぇよ」
 天文学的な確率ではあるものの、そういった特異体質を持つ人間が存在してもおかしくないという論文が実際にあるらしい。しかし、当時の医療レベルは解明に至るまで発達していなかった。少なくとももう一世紀近くは経っているから、もしかしたら何か新しい発見があるのかもしれないが、そういった科学者たちとは金輪際関わりたくない。
 そう言って、政宗は思いきり顔を顰めた。ただでさえ整った顔立ちだから、一層凶悪に見える。
「一世紀って、お前、本当はいくつだよ…」
「馬鹿らしくなって数えるの、途中でやめた」
「とんでもねぇ鯖読みしてるってことか」
 政宗の両親も、兄弟も、親類も、極々普通の一般人だった。特異体質なのは政宗だけ。
 気がつけば一人だった。
 皆が寿命を全うしていく中、いつも政宗が取り残される。
 もしこんな特異体質が他にも居るなら、そいつらはどうやって生きてるのかね。それとも。
「年が取りにくいだけであとはすべて普通の人間だ。風邪だってひくし、傷がつけば血が流れて痛ぇ。不死じゃない、長寿なだけだ」
 政宗は自嘲に口元を歪め、肩を竦めた。
 幸いと言うべきなのだろうか。政宗の場合、身体のピークは十代後半で迎えた。裏工作をしながら各地を転々とし、高校へ通って外との交流を持てば、どうしようもない孤独はいくらか和らいだ。しかし、同じ所に長居は出来ないのは経験から知っていた。
 周囲の目つきに好奇心がちらつくようになり、やがて薄墨が流し込まれ、徐々に黒く染まっていく。
 その様子が大嫌いだった、と政宗は吐き捨てる。
「俺にとっちゃ、一年も二年もたった一日と大差ねぇ。長い時間を持て余してる内に感覚が麻痺しちまった。深く呼吸を繰り返して、目を瞑り、なるべく何も考えないようにしていれば惰性でやり過ごせる。だが、アンタとの時間は違った。あんなにも過ぎるのを惜しく思う時間なんて知らねぇ。アンタと毎日顔を合わせる度、あとどれだけ一緒に居られるのか、考えて勝手に落ち込んでた」
 寄せられていた政宗の眉根が解ける。
 元親は静かに立ち上がり、壁へもたれかかった。
 あまりにも突拍子のない話だから信じられるのか不安だったが、意外にもすとんと身の内に落ちてくるのを感じる。
「別れたのは、老いていく俺を見たくなかったからか?」
 元親の問いかけに政宗は左目さえ落とさんとばかりに見開き、慌てた様子で首を横に振った。
「ちがう!…アンタに理解してもらえなかったら、そう考えたら怖くて、隠しているしかなかった。だが、アンタから完全に離れることも出来なかった。もしかしたらどこかで見かけられるかもしれない。そんな下心もあって、あの街からさほど離れていないここに戻ってくることを決めた」
 馬鹿だなぁ。
 無意識に漏れた元親の呟きに、まったくだ、と政宗は頭を掻く。
「むしろ羨ましいくらいだ。俺だって普通に年とりてぇよ」
「…そうだよな。悪かった」
「最近、やっと目尻に皺が出来たぜ。疲れたり寝不足だったりする時だけだけどな」
 元親は小さく吹き出した。些細なことに喜びを見いだす政宗は普段の振る舞いとは違い、らしくなくて可愛い。
 文字通り何一つ変わっていない政宗を前にすると、まるで当時に舞い戻ったように錯覚してしまう。気がつけば元親は政宗の頬に手を添えようとしていた。
 一方的に言い渡されたとはいえ、こんな甘ったるい行為を許される関係では既にないというのに。
「元親…?」
 中途半端に動きを止めた元親を政宗は怪訝そうに見つめる。ふと考える素振りを見せた後、未だ宙を彷徨っていた元親の手を取り、政宗がそっと遠慮がちに擦り寄ってきた。皮膚の薄い掌に唇の感触を感じると、元親の心臓は壊れそうなほど飛び跳ねる。息が上手く吸えない。
 頭一つ分低い位置から、上目がちに政宗がこちらを窺ってくる。
 元親はもう片方の空いた手をゆっくりと持ち上げた。震える指先をどこか他人事のように感じる。
「触っても、いいか?」
 無意識に口を突いて出た言葉に一番驚いたのは元親自身だ。しかし撤回する間もなく、政宗はこくりと頷き瞼を下ろした。
 なるたけ優しく。眼帯の上から右目をなぞり、頬、唇。最後に両手で顎のラインを包み込み、口づけた。ほう、と至近距離で二人分の吐息が混ざり合う。政宗のあたたかい掌が元親の濡れた頬を拭っていった。
「俺はアンタを泣かせるしかできねぇんだな」
「馬鹿野郎、お前はいつもそうやって…!」
 元親は有無を言わさず、政宗を力任せに掻き抱いた。身体を強張らせた政宗も、しばらくしておずおずと背へ腕を回し抱き締め返してくる。
 鼻先を埋めた首筋からはひどく懐かしい香りがした。
「また居なくなるなんて言うなよ。話したいことがたくさんあるんだ。特に、お前が消えた八年間のこと」
「だが俺は…」
 本当に、相変わらずだ。何十年あるいはもっと長く生きてきているのなら、こういう七面倒くさい所をまず一番に直したらいいのに。
 元親は政宗の頬を挟み込んだ両手で、パチンと叩いた。政宗が目を丸くする。
「…うっせえ。不老長寿がなんだよ。お前だって淋しかったんだろ?離れていくなよ」
 語尾が存外、弱々しく響いてしまったのは見逃して欲しい。ぎゅう、といっそ縋りつく勢いで力を込めると、苦笑した政宗の手が後頭部に差し込まれ、引き寄せられた。
「っ、待てって…!」
「なんだよ」
 慌てて身を引いた元親に、政宗は多少不満を覚えたようだ。だがしかし。元親は目を泳がせて消え入りそうな声音で訴える。
 これ以上は、収まりがつかなくなりそうだ。
 呆けた顔を晒した政宗はしばらくしてやっと意味を飲み込んだのか、俯き口を噤んだ。覗いた耳が赤い。
 その様子にどうしようもなく愛しさが込み上げてくる。たまらず破顔した元親は政宗の露わになった首元に頬を擦りつけ、柔く噛みついた。

  *  *  *

 次の日の朝。
 元親が会社へ今日休む旨を伝えると、電話口の向こうからは歓声やれ黄色い声やれが聞こえてきた。電話を取った事務員の少女、鶴姫に至っては「どうぞごゆっくり!宜しくお伝え下さいませ!」等と明るく返してくるものだから、何も話していないのにどこまで知られているのかと不安に思ってしまった。
 明日、出社するのが少し怖い。
「連絡は済んだのか?」
「済んだけど…」
 口ごもる元親を不思議そうに眺めながら、政宗は手にしていたマグカップを差し出した。中身はミルクたっぷりのカフェオレだ。元親は礼を言い、早速口をつける。寝不足気味の身体に飲み下した温い液体がじんわりと染み渡っていくのを感じる。
 あれから場所を政宗の自宅に移した二人は、離ればなれになっていた八年間を埋めるかのごとく積もる話に花を咲かせた。だけではもちろんおさまらず、朝を同じ布団の中で迎えて今に至る。
 目覚めて一番始めに見るのが愛しい人の寝顔であることがこんなにも幸せだったのか。
 顔に掛かった政宗の艶やかな漆黒の髪を梳いてやりながらぼんやりと考えていたら、危うく涙が溢れるところだった。散々泣いたというのに尽きないらしい。
「政宗は今日、バイトねぇの?」
「昨日帰るとき、店長に言ってシフト変えてもらってる」
「店長…あの人か…」
 ギャルソンエプロンのよく似合う、気の強そうな女性だった。なぜ元親が政宗の勤めるダーツバーの店長を知っているのかと言えば、昨夜感極まって二人で抱き合っている所をばっちり見られたからだ。店の裏口というのがまずかった。そういうの気にしねぇ人だから、と政宗は言うものの気にしないこともこれまた難しい。
 しばしまったりと朝食代わりのコーヒーを啜って過ごす。そういえば家康たちに忘れず報告しなければ。政宗本人だったと伝えたら、ひっくり返るほど驚くことだろう。
「…なぁ、政宗。懐かしい奴らと会いたくはないか?」
 それに。もし家康たちも政宗と会えたら、嬉しいと思うのだ。
「話したと思うが、お前に会えたのもみんなのおかげなんだ。事情を話せばきっとわかってくれるさ。そういう奴らだって、知ってるだろ」
 政宗はテーブルへ置いたマグカップを覗き込み、黙り込んだ。自ら去った経緯があるのだ。思うところもあるのだろう。
「も、もちろん無理強いしてる訳じゃないからな?嫌だったら…」
「わかってる」
 眉尻を下げて曖昧に笑う政宗の姿に、元親は居心地の悪さを感じる。そうだった、この男は妙なところで頑固だった。一度そうだと決めたらてこでも動かない。いくらこちらが口を出しても聞く耳を持たないのだ。それに、機嫌を損ねると後が面倒になる。強引すぎたろうか。
 ぐるぐると一人で考え出したせいで、政宗が喉の奥を震わせるのに気がつかなかった。
「アンタと一緒なら、いいかもな」
「本当か!」
 元親は身を乗り出して政宗の肩へ腕を回し、抱き寄せた。もし、再び全員で集まれたのならばこれほど嬉しいことはない。はしゃぐ元親を宥めるように、政宗の手が背を擦っていった。
「昔ほど、人を避けようとは思わねぇんだ。必要以上に怖がることはない。それもアンタのおかげだ。元親、アンタと出会わなければずっと知らないままだった」
「政宗…」

 このぬくもりと共にあれる時間があとどれだけ残されているのか。元親も政宗も知る由がない。しかし、何よりも大事にしていきたいと思う。
 もう二度と、この幸福を手放したりはしない。
 どちらからともなく顔を寄せ、唇を合わせながら密かに二人は誓い合う。
















(2010/11/23)
長かったので分けてみました。
3のキャラを初めて書いたのですが楽しかった!ちなみにバーの店長は孫市です。