春のフーガ
運命のコイントス。
ぎらぎらと光を反射させて回転する銀色の桜は、宙で構えられている元親の左手に向かって落下し、次の瞬間にはそれを右手が覆い隠した。政宗は数瞬、考えるように間を置き、うら、と答える。じゃあ俺はおもてだな、と恐る恐る隙間から覗き込んだ元親が仰け反りながら、野太い悲鳴を上げた。講義開始前の休み時間ではあったが、あまりにも奇妙な声に喧噪で溢れる教室の数人が、そっと振り返る。しかし、その声の主を確認すると、すぐさま元に直ってしまった。
なるほど、彼らの様相は出来れば近づきたくない類のものだ。睨まれたのなら、例え思い違いであっても取り敢えず謝り倒すしか、助かる方法はないとすら思える。端から見れば、ただの物騒な二人組である。
元親の手の甲で、これまた銀色で“100”と書かれた文字が震えていた。
「俺の勝ち、だな」
憎たらしいほどの笑みを浮かべた政宗は、その百円玉を取り返すと、自身のポケットへ突っ込む。目の前のルーズリーフにチェックを入れれば、元親が頭を抱えて机に伏せた。
「はい、完了。今週はお前がゴミ出しと風呂掃除な。サボるなよ」
「今週も、だろ…」
返事には力がこもっていない。
「お前の勝率、人間業か?この前も、その前も、その前の前も…うわ、1ヶ月ちかく負けっ放し」
「トスは任せたんだ、種も仕掛けもありゃしねぇ。元々、動体視力には自信があるからな。ま、俺よりもアイツの方が」
噂をすればなんとやら。
ややっ、と少々時代がかった口調で臆せず、未だ少年の面影を残した爽やかな笑顔が、ふたりへと近づいてくる。その顔は、政宗が思い浮かべたものとうり二つ。
真田幸村。誰もが羨む身体・運動能力を有していながら、落語研究サークルに所属する、この大学随一の変わり者だ。
「元親どのが年度初めの講義にいるとは。めずらしい」
「…なんだそれ。佐助か?」
「去年の春休みは、ちょっくら沖縄まで行ってくらぁ、と言って結局、学業復帰は夏も近かったとか」
「ついでに、実家にも顔出してたからな」
「ほう」
それで、今年はどちらに?
実際目には映らないが、とにかく無駄にキラキラするものを振りまいて、幸村が尋ねる。隣に腰掛けられた政宗は明らかに顔を顰めたが、これっぽっちも気にしていないようだ。
「北海道で流氷を見れるかな、って横断も兼ねて二輪で最北端に向かってたんだけど、途中マシントラブルでなぁ…。なんとか本州の端っこまで帰ってきて、帰省してた政宗に拾ってもらったんだ」
「政宗どのに?」
「俺は地元にいたからな。それからずっと元親がウチに居候して、こっちには同じく帰ってきた」
「なるほど。それなら心配はいらぬ」
びゅおう、と戸口の隙間を春風が力任せに通る。ちょうど入室してきた女子の、ゆるく巻かれたパーマがばらばらに飛び散った。時間のおしている朝、必死でセットしてきたのだろうに。
一番近い席の元親はいつの間にか立ち上がり、彼女に歩み寄った。広い背に阻まれ、突然止んだ風に驚いたようだったが、なかなか言うことを聞いてくれない引き戸が難無く閉められると、俯いて照れたようにお礼を言う。
図体がでかく強面のくせに細やかな気が遣え、その上幸村に次ぐ無邪気な笑顔を持っているものだから、元親は誰にでも好かれやすい人柄だった。
俺たち、第一印象で損してるよな。安心しろ、俺は性格でも損してる。昨日の友が今日の敵、なんてな。ご苦労なこった。
元親と政宗の、最早決まり切った文句だ。
「そういや、近くの公園で桜が咲いてるんだ。俺らの部屋から見えるんだぜ」
「そろそろ見頃でしょうな。花見などは?」
「お、いいな!政宗ー、佐助と弁当作ってー。酒は準備するからさ」
「まさか真田、お前、部屋で騒ぐ気じゃねぇだろうな。元親以外、俺のとこは立ち入り禁止だ」
「ああ。お二人は同棲同然でしたな」
「知ってるなら少しは遠慮しろ。ったく、お前の保護者はどこだ」
「佐助ですか?おそらく、休講だと」
「弁当〜。あぁ、腹減ってきたなぁ…」
びゅおう、と再び、風が空を切る音と共に、教壇側の入り口が開く。現れたのは武田教授、一体誰が呼び始めたのか不明だが通称“お館さま”だ。突き出された鳩胸が、今にもスーツのボタンを弾き飛ばしてしまいそうに見える。
「さて。早速、始めるとしようか」
ぱつぱつに布地が張った背中を向け、教授の太い指には不釣り合いな細いチョークで板書しようとした、その時。
びゅおう。本日三度目の音を響かせて、入り口が開いた。
あ、佐助。元親の声につられて顔を上げれば、おそらく家から付けたままであろうヘアピンで前髪を留めた佐助が、息を切らしながら苦労して戸を引いている。
「寝坊か?」
「え、あ、はい!すいません…!」
慌てて答えた声は、ところどころで掠れていた。喉の調子を整えるように、ごほ、と軽く咳払いをする。
新年度早々たるんでおるな、体調管理もなっとらん。逞しい二の腕を組んで、武田教授が見下ろした。佐助はその場で俯き、初めてピンの存在に気が付いたようで、素早くそれを外す。
「…。はやく、治すように」
恐る恐る見やれば、眉が下がり真一文字の口元が綻んだ、厳めしさのいくらか軽減した顔で、大きな手をひらひらと揺らしていた。佐助は、張りつめた息をほっと吐き出し、精一杯一礼する。
何度か繰り返し教室を見回し、元親が手を掲げて招くと安心したように口の端を持ち上げた。しかし、それはすぐ強張り、代わりに顔全体を真っ赤に染め肩を怒らせて、ずんずんと歩み寄ってくる。
気のせいだろうか、その足下はふわふわといくらか覚束ない。
「…ちっ、まだ動けたか」
政宗の耳は、運悪く不穏な言葉を拾ってしまう。
これから起こることを予想して青ざめていると、隣の天然は、なんだ顔色が悪いぞ、と覗き込んできた。
そうだどうなされた、だと?真田幸村。わざとらしいんだよ。
仁王立ちした佐助が提げたショルダーバックを振り上げるのと、笑みを崩さない幸村がそれを難無く受け止め、巻き起こる風で机の上のルーズリーフが滑るようにどこか遠くへ飛んでいったのは、それから間もなくのことだった。
すっかり怯えた元親が、肩口に縋り付いてくる。その髪を撫で上げる政宗の手は、若干汗ばんで震えていた。
武田教授の怒号に、教室中が静まりかえるのも時間の問題だ。
(2007/04/04)
鳥居さんから「現代大学生パロで春らしく」とリクを頂きました。は、春らしい、ですかね…?
イメージとしては幸村2年、政宗3年、佐助と元親が4年って感じなのですが、まぁまぁ、そこは自由に妄想してくだされ(丸投げか)
伊達チカっていうか幸佐メインになってしまって申し訳ないです…。返品は受け付けますのでー!全力で殴ってください、さぁ…!
ありがとうございました!