先生と俺 FIne











 真っ赤に燃えた教室での出来事からまもなく、政宗の酷い風邪はすっかり全快し、まるで入れ違えるように今度は元親がこじらせた。
 栄養ドリンクでのドーピングも、そろそろ限界だったらしい。半ば無理矢理だったが、ふらふらと帰宅する元親についていったのは正解だったと、政宗は世話を焼きながら確信した。
 毛布にくるまってそのまま転がろうとするのを慌てて制し、布団を準備してやればいつの間にか元親は消え、脱衣所の洗濯機に精一杯の力でしがみついている姿を見つけた。呆れながら政宗は、いいよそれも俺がやる、と問答無用で引っ剥がし床へ押し込む。どうやら、それが最後の矜持だったようで、糸が切れるように意識がなくなったのはそれからすぐのことだった。
 政宗が今夜の寝床を足の短いソファに決めた頃、少し離れた布団の寝息が途切れた。
 寝返りする気配。しばしの沈黙。
 掠れて、頼りない声が政宗を呼ぶ。
 彼が嫌がったから氷枕はわざとこしらえなかったが、苦しくなったのだろうか。政宗はなるべく大きな音を立てないように近づき、元親のか細い声に耳を傾けた。
 …添い寝してほしい、だって?
 その意味を問う前に、頬が赤い元親の手によって掛け布団の端は持ち上げられた。
 寒いんだからやめろ。大人しく寝てな。
 そう言うことだって出来たはずなのに。逆らうことを忘れた政宗は誘われるまま潜り込み、満足そうに笑んだ元親へ腕を絡める。
 彼の身体は熱かった。
 夜が更けてくるとさらに体温は上がったようで、元親の背は段々と汗ばんでくる。つられて、政宗は自分の肌も滲んでくるのを感じた。再び目を覚ました時に着替えをすすめ、新しいシャツを用意してやり、ぼんやりと頭を袖に通そうとするのを正す。
 うう、寒い。
 元親がそう呟いたから、隙間を埋めるように抱き寄せた。病人特有の甘ったるいような苦いような匂いは、不思議と政宗を安心させる。苦もなくやってきた心地良い微睡みに、瞬きをゆっくり繰り返した。
 さわ、と衣擦れの音がしたかと思えば半開きだった唇をなぞられ、次に感じたのは吐息、乾ききった皮膚が押しつけられる。
「…お前と居ると、すごく安心する。なんでかな…」
 そう言った元親の目は、既に瞑られていた。政宗の手は慈しむように背を叩く。



 ほとんど目を瞑ったままで布団から半端に抜け出し、政宗は身体と腕を伸ばしてテーブルへ備えておいた体温計を手探りで探す。しばらく空振りを繰り返した後、それらしき感触が手に当たり、握りしめると傍らで横になった元親へと手渡した。日は高く昇っている。
 ありがと。そう答える声には、昨晩と比べてもはっきりと分かるほど力が戻っていた。
「具合は?」
「体の所々がぎしぎしする以外は特に」
「ふーん…まだ熱下がってないのかもな」
 眉根を寄せて、政宗の顔が近づいてくる。
 互いの額と頬とを擦りつけるのは単純に心地良かったが、それよりも恥ずかしさに居たたまれなくなり、元親は身を縮こませた。
 政宗の相貌は、それぞれのパーツが整っている上配置もまた絶妙で、まじまじと見れば見るほど秀麗だとしか表せない。どうにも落ち着かない気分になってしまう。政宗自身が頓着せず、いつも小難しい表情の後ろに隠しているからさらに質が悪い。
 勇気を奮い起こして、呼吸が肌を擽るくらいの距離で瞬きする左目を盗み見る。気が付いたのか、それはちらりと元親を一瞥し細められた。
 垂れ下がってまとわりつく、黒髪がくすぐったい。
 ふと目を瞑った隙に、柔らかな感触を唇へ落とされた。間もなく熱く湿った何かが一舐めし、それは離れていく。静かに、至近距離で覗き込んだ瞳が濡れた。じんわりと身体の奥が熱く点る。
 と、絶妙なタイミングで無機質な電子音が鳴り響いた。
 政宗は遠慮無く舌打ちをし、無断で元親のシャツへと腕を突っ込む。ひゃあ、と情けない悲鳴が上がるより早く、体温計は引きずり出された。
 三十六度五分。
 元親は、目の前で深くなった眉間の皺をぼんやりと眺める。
「アンタ平熱は?」
「それくらい」
 政宗が微かに安堵した息を吐いた。ケースへ仕舞い元の場所へ戻すと、ぺたぺたと這って帰ってくる。無言で乗り上げ、擦り寄ってくる姿に元親は抱き締め返すことで答えた。胸を圧迫する重さは苦しさよりも、充足感で全身を満たす。
「お前がいてくれて助かった」
「なんだよ。いきなり改まって」
「ほら、体調悪い時って弱気になるだろ?」
 ひとりじゃなくてよかった。
 時々引っ掛かる政宗の細い髪を注意して梳きながら、元親は微睡みにも似た感覚に浸る。
 ゆっくりと、それでも確実に。
 互いが互いに馴染んできたように思う。
 政宗の、折れそうに細く華奢で、そのくせ少しいびつに節々の目立つ指が元親の頬を撫でるのも、それに答えるのも、いくらか自然になってきた。
 今だって、そっと鼻先を窺うように触れ合わせたまま視線を交わし、やさしいキスをする。
「…嫌ならやめる」
 嘘をつけ。元親は声に出さず笑った。
 切羽詰まった眼差しで言われても、ちっとも説得力がない。
 まだ熱に浮かされているのだろうか。啄むだけでなく、生温く湿った舌を政宗のそれに擦りつけても、物足りなく感じる。投げ出していた腕を気怠く持ち上げ、後頭部へ差し込むとまるで強請っているようだ。政宗のひとつしか見えない目が一瞬開き、直ぐさま楽しそうに歪むのが視界の端に映る。鼻に抜ける甘い吐息に、一番驚いたのは発した本人に違いない。元親は、頬が見る間に紅潮していくのを感じた。
 身を捩れば、衣服越しに熱の塊が擦れて、思わず唇を噛みしめた。
 政宗が、余裕のない声音で名を呼ぶ。それだけでくらくらと眩暈が起こった。悔しいけれども、気持ち良い。
 このままとけちまいたいなぁ。
 夢見心地で口にした元親の言葉に、シャツの裾から侵入させた手で素肌を撫でていた政宗は、律儀に同意する。
「政宗。好き」
 告げれば不思議なことに、渇いたすべてが潤っていく気がした。
 これからの行為に対して抱える不安は、随分と甘く胸を締めつける。それ以上に、もっともっと満たされたいと願う衝動が奥底から噴き出してきて、自分ではもう止められない。
 これが恋とか愛とか呼ばれるものだと、元親はとっくの昔に知っていた。おそらく、政宗も知っている。
 腕を回して縋った背は骨ばかりが浮き出て線が細く、いくらか頼りない印象を受けた。それでも、政宗の動きに合わせて隆起するくぼみを見つけては、指先でなぞる。愛おしい。
 政宗に全身で触れられるたび、爪先から頭の天辺まで形作る細胞が歓喜する錯覚を感じた。自然と身震いしてしまう。
 このまま、窒息するほどのやさしさに漂っていたい。
 境界線が曖昧になって、段々ととけていく。あとは触れた部分の感触を確かめながら、追い続けるだけだ。あまりに必死すぎて笑えるのか、泣けるのか、分からなくなってきた。何でもない、衣服が肌をする音に馬鹿らしいほど高ぶる。思考が真っ白に染まっていく。
「元親」
 何度でも呼んでくれ。
 快楽に淀んだ脳では、それしか考えられなかった。





 感覚が戻るにつれて、一層ズキズキと体中が痛んでくる。体勢を変えたくとも、四肢を動かそうと腹や腰に最低限の力を入れるだけで息が詰まった。枕を抱きかかえて蹲る姿勢が一番楽だと気が付いてからまともに動いていない。
「水、飲むか?」
「…おう」
 政宗が差し出したコップを両手で抱えるように受け取り、元親が苦心しながら口元へ運ぶ。一口、喉を湿らせただけで返ってきたそれの残りは、政宗の喉へと消えた。
「風呂は?」
「無理」
 傍らで、呆れたように苦笑する気配。
 さっき便所にいくときだって手を借りただろ。元親は歯噛みする。

 だから、言ってやらないことにした。
 ずっと背を撫でさすっている手がひどく心地良いなんて。
 こそばゆいのを承知でもう一度、力一杯抱き締めて欲しいなんて。
「元親」
 声音に愛おしさを滲ませて覗き込む隙に、唇を掠めとっていこうとしてる奴になんか、特に。
















(2007/10/02)
ミツルギさんからリク頂きました。大変お待たせいたしました!(土下座)
書きながら何度も何度も「この二人、一般的な恋愛に大事なものがいろいろと抜けてないか…?」と首を傾げてました(笑)
お初ものだぜじゅるり!なんて意気込んで始めましたが、出来上がったらあら不思議、ちょっと余裕ありそうな伊達君に私がイラッとしたなんて秘密です。
こんなものでよろしければお納め下さい…。ありがとうございましたー!!