ゆらり、ゆら


*年の差設定となっております!










「お願いだ、帰ってくれ。今すぐに」
 元親から絞り出された声音は、泣いているようにも聞こえた。こんな時でも声を荒げない彼に、政宗はほんの少しの苛立ちを覚える。有無を言わさず抱き締めてやりたかったが、それすら、許してもらえないだろう。
 こちらを見ようともしない元親の手の甲には、青白い血管がはっきりと浮かんでいる。静かに無言で立ち上がり、去ろうとする政宗を追うこともなく、見下ろす旋毛は微動だにしない。
 政宗には軽い音を立てて閉まる障子戸が、二人を一生隔ててしまう絶望の壁のように感じられて仕方なかった。

 長曾我部信親。
 彼は、父親である元親をひとりのこして、逝ってしまった。

 元から代わりになれるなど、思い上がっちゃいない。代わりになりたいと、思うはずもない。
 だから元親が時折、どこか若さを懐かしみ、目の前の自分ではなくその向こうを眺める様子に、声を荒げて泣きわめいてしまいたくなる。
 元親自身は知っているのだろうか。首を少し傾けて、目を細め口元に深い皺を刻みながら笑んでいる時は大抵、もう居ない息子のことを想っているのを。信親を亡くしてから、元親は翳りを含んだ笑い方を覚えてしまったと聞く。淋しさばかりが色濃く浮かぶその表情に、政宗はまるで心臓をあたたかい掌で握りつぶされるかのような錯覚を感じた。
 もやもやとしたわだかまりの正体は、何のことはない、顔すら知らない彼の息子への嫉妬じみた感情だ。
「…今、アンタを犯してるのは誰だよ、ええ?」
 力ずくで無理矢理組み敷き畳へ押しつけた元親は、こちらに向けた背を震わせながら、意味のない声を上げた。涙が絡んだ喉は、不規則な呼吸も相俟って忙しない。首を左右に振るたび、頬と白銀の髪が敷布を擦る音がした。ぞくり、と政宗の全身は粟立つ。逃げ打とうとする細腰に政宗は爪を立てて制し、引き寄せて一層深くまで抉るとまるで縋るように、長い指は脱ぎ捨てられた着物を手繰り寄せた。歪んで汚れた元親の顔が見られないのは少し残念だが、ひっきりなしに漏れる掠れた声を聞くだけでも良かった。
「ま、まさ…っ」
「ああ。俺以外当然こんなこと、しねぇだろ」
「ひっ、あ…あ…!」
 元親は堪えるように噛みしめていた口元へ、手繰り寄せた着物をぐしゃぐしゃに纏めて当てる。それでも構わず揺さぶれば、くぐもった悲鳴が絶えず零れた。
 畳へと縫いつけた手首は捩れ、抑えつける政宗の指の形通りに痕が残る。政宗は、自身の体躯をはるかに越える長槍を自在に操ったという、かたく引き締まった厚い元親の掌が好きだ。使い古された手だ、と言って本人は照れたように悪態をついていたけれども、掌を合わせ、決して細くない指同士を絡ませ合えば、それだけでじわりとあたたかなもので満たされていった。
 しかし、込み上げてくる暴力的な衝動に、それらは音を立てて崩れ去っていく。
 血の流れが滞り、青白く染まった腕が小刻みに震える様子に、政宗は口の端を持ち上げて笑んだ。衝動は最早、止めることが出来ない。覆い被さるついでに頬を近づければ、ひやりと冷たい指先が肌を擽った。
 一際噛み殺した悲鳴と共に、元親は体を強ばらせて達する。収縮する孔の動きに合わせて構わず強引に抜き差しすると、そのまま断続的にか細い声が上がり続けた。元親の膝は次第に力を無くし、ほとんど政宗に支えられ、されるがままだ。間もなく政宗が短く呻き最奥へと全てを吐き出す頃には、元親は意識を失っていた。
 はあ、と荒い息を繰り返し吐きながら、政宗は殊更ゆっくりと体を離す。ぐったりと四肢を投げ出した元親を横たえ、濡れた頬に張り付いた白銀を掻き分けてやる。政宗の眉間に深い皺が刻まれた。



 元親が目を覚ましたのは、陽も高く昇る頃だった。



 最悪殴られると思っていたから、政宗が何もせず退室していったのには驚いた。俯きながら視線だけでちらりと窺った彼の背中は、一切を読み取らせない。
 ぱたり、といつも通り障子戸が閉まる音がいやに響いて聞こえたのは、昨日のことだった。
 元親は手首に視線を移す。そこには赤黒く主張する痣があった。政宗が昨夜、残したものだ。なぞっても既に痛みは無い。
「馬鹿野郎が…」
 おそらく、政宗の言いたいことは分かってしまった。年の功というやつはなんとも情け容赦がない。
 元親は自嘲的な笑みをつくった。
 政宗に信親の姿を決して映さなかったと言えば、嘘になってしまう。信親を亡くして以来ぽかりと空いた穴に、政宗という存在は見事にはまった。ちょうど同じ年頃だったからかもしれない、何かと危うく見える所が似通っていたからかもしれない。
 ただ、政宗から思いの丈を告げられた時、すべてをゆだねようと思った。
 信親はいない、菜々もいない。淋しい自身に残された道は、ほとんど皆無だ。忘れることは決して出来ないでも、愛しい政宗に愛されたくて愛されたくて仕方なかった。
 一方、築かれた関係によって政宗が苦しむようなら、迷わず身を引こうとも考えていた。まだ政宗は若い。そして、彼の背に負ぶわれたものの重さが分からないほど凡愚ではないつもりだ。彼の重荷にはなるまい。それは、年老いた元親が掲げるせめてもの矜持だった。
 今がその時なのかもしれない。昨夜の情交が微かに残る部屋で、元親はひとり項垂れる。
 そのまま抗うことなく、気怠い全身から力を抜きその場へ倒れ込んだ。鈍い痛みが腰を中心に霧散していく。元親は唇を噛みしめた。そうでもしないと、かっかと火照る目頭から涙が垂れ落ちてしまいそうになる。頬を畳へ押しつければ、いくらか紛らわせられた気がした。
 なんて女々しい。随分と昔、姫若子と揶揄された己に似つかわしい姿だ。
 ひとりだから気分は鬱々したものに変わってゆく。元親は冷え切った自身を抱き締めた。このまま、ねむってしまおうか。
 と、騒々しく廊下を蹴る足音によって思考は一時中断された。人払いをしていたから、部屋の前で人が座する気配に元親は慌てて身体を起こし、遠慮無く顔を顰めた。
「…誰も通すなと言ったはずだぜ?」
 低く唸るようなドスのきいた声音に被り、するすると障子が滑る。
 現れたのは、城下の宿場に滞在している筈の、政宗だった。ふ、と彼の口元が笑みを浮かべる。
「右の頬。赤いな」
 元親は何も答えない。呆然と見上げるのが精一杯だった。
 それでも構わないのか、政宗は答えを待たず至極当然に部屋へ踏み入ると、障子を静かに閉める。そして一呼吸置き、それこそ流れるような仕草で裾を払い、膝をついて、頭を垂れた。もちろん元親に向かって、だ。
 すまない、と続いた言葉に元親は目を瞬かせる。
「謝って済まされる事じゃねぇと分かってる。ただ、これで終いにするから、言わせてくれ」
「な、にを」
「俺はアンタの息子じゃねぇ。亡くなった者の代わりになることなんざ、生きてる人間には不可能だ。それに俺は、俺でしかない。アンタの望むようには、なれそうもない」
「…ああ…。そうだな…」
「それでもいいなら再び、俺に縋ってくれないか。二度とアンタを傷つけることはしないと誓う」
 ゆっくりと起き上がった政宗の視界を占めたのは、唇を噛みしめて苦笑した元親の顔だった。包み込むように頬へ手を当てられ、そっと唇が合わさる。肌を伝って触れた水は随分と塩辛かった。ほ、と満足げな息を漏らして互いを離したふたりは、至近距離で視線を絡ませ合う。
 阿呆が、と元親が頬を濡らしたまま言った。
「人が互いを傷つけずにいられる訳がねぇだろ?でもいいんだ、お前らしくて好きだぜ。そういうとこ」
「あんだよそれ…謝った俺の格好がつかないじゃねぇか」
 形振り構わず詫びようと覚悟して来たのに。拗ねる政宗へともたれ掛かった元親は、喉の奥で短く笑う。
「…いまさら俺が謝ったら、お前は怒るかな…」
 回された腕にきつくこもった力が答えだろう。元親は、くるしい、と呟き瞼を下ろす。





 息をすることすらままならなくなる程の狂おしい感情に、体中が軋み、喜びの声を上げるのをふたりは揃って耳にした。
















(2008/02/21)
翔さんからリク頂きました。
大変長らくお待たせしました…!約一年って、おま!すみません、本当すみません…orz
実は一番悩みました。元親が本気で怒ることってどんなだろう…と思いながら恐る恐る書き進めていったらこんなことなってました。超絶反省してます。チカちゃん、ごめんなさい。
勝手に年の差設定にしてしまいましたが大丈夫でしたでしょうか?こんなものでよろしければお納め下さい。
ありがとうございましたー!!