あかね











 鬼と呼ばれる元親という男は、実のところ似つかわしくないほど大人しく慎ましやかな性格をしている。特に、身の丈ほどの長槍を置き、アニキと豪傑な彼を慕う家臣らの元から離れると顕著に表れて見えた。
 政宗はちらりと、隣で背を丸めて文字にかじりつく元親へ視線を流す。既に何刻もそうやっているが、飽きる気配はなさそうだ。次から次へと書を手に取り、隅々まで眺めては痛めないよう慎重に頁を閉じ、また新しいものを開く。無心に読み耽っているその横顔にはうっすらと隈が浮かんでいた。この奥州くんだりまで来るのがどんなに骨の折れることなのか、言外に示されているようで、政宗は面白くない。
 そう、四国と奥州は簡単に行き来できるほど利便の良い土地ではないのだ。だから、久しぶりの逢瀬となれば余すところ無く、触れ合っていたいではないか。
 ところが元親は船を降りて早々に、両手を広げて出迎えた政宗に向かい開口一番、お前んとこの蔵を見せてくれ、と好奇心に満ちた視線で迫ってきたのだった。その視線は見覚えがある。カラクリ兵器の新作開発で籠もりきりになる直前も同じ顔をしていた。だから、少しは嫌な予感がしていた。
 まさかここまで自身を省みず没頭する性質だったとは。
 早くも読み終えたらしい元親が新しい書へと手を掛ける前に、政宗は些か不機嫌さを滲ませて呼びかけた。
「Hey,そろそろ一息入れろ元親。茶を用意した」
「ん。すまねぇな」
 蔵の中は薄暗いため、茶がなみなみと注がれた湯飲みを手渡すのは非常に気を遣う。触れ合う指先は意図せずとも、まるで名残惜しむように絡み合った。久しぶりの感触は二人の呼吸を一瞬だけ滞らせる。
 強ばった政宗の手から半ばひったくるように、元親は湯飲みを攫って勢いよく口を付けた。茶が冷めていたことは幸いだった。
「さすが伊達家。蔵書の数も豊富だな」
 飲み下せば落ち着いたらしく、元親は改めて辺りをきょろきょろと見回し言った。ああ、と努めて声音を選び、政宗が答える。
「とは言っても、選り分けしてあぶれた奴をこの蔵に押し込んだようなもんだからな。ほとんど価値を見いだせねぇ奴だって、正直な話ある」
「時間つぶしにはもってこいだな」
 じゃあてめえは時間つぶしにわざわざ奥州まで来てんのかよ。俺に会いたいから、じゃねぇのか。
 そう言って元親を咎めるのはあまりに子供じみているから、口を噤んでおいた。代わりに立ち上がり、埃を被った裾を叩き払う。
「夕餉を準備させてある。外に出るぞ。こんな薄暗い所に長い間籠もってたんじゃ気が狂いそうだ」
「そうか?俺は別に…ああ待て、政宗。まだ戸開けるな」
 元親は懐から外していた眼帯を急ぎ取り出した。
 彼の左目は政宗の右目と違って健在であり、視力も人並みとはいかないまでも全く無い訳ではなかった。手元の文字を追うのは両目の方が楽なんだ。或る日元親はあっさりと白状した。
 見えすぎるから隠してるっつったら、贅沢にしか聞こえねぇか。
 その戯れにも似た問い掛けに、政宗は咄嗟に答えることが出来なかった。心の奥底、頭の片隅では密かにそう思った自身が確かに居る。ただ昔と違い、堪らず嘆いたり憎んだりすることは無くなっていた。政宗の沈黙を元親はどのようにとったのか。お前の前で隠す必要はなくなったな、と至極満足そうに頷くだけだった。
 すっかり左目が隠れるのを待って、政宗は滑りの悪い出入り口を開けた。夕刻の穏やかな陽も、闇に慣れきってしまった瞳を灼こうと降り注ぐ。政宗は左手を翳して、陰の下で目を細めた。
「眩しいな…」
 後を追って外へ出た元親が呟く。
 風を含んで巻き上がる銀糸は茜色を透かして乱反射し、見事なほど輝いて政宗の目を奪った。腕を伸ばし触れ、指の股をさらさらと擽る間も瞬くそれは、あまりに綺麗すぎて手放したくなくなる。なんだ、と語尾を間延びさせた元親は抵抗らしいそぶりを見せず、少し屈めた背で大きく外気を肺に迎え入れた。
「アンタはやっぱり光の下が似合うな…」
「そうかい。海の男として嬉しいねぇ」
「だが。あんまり俺の手の届かない所へ行かないでくれよ」
 まっすぐ見据えて発せられた言の葉に、大きく目を見開いた元親は間もなく、ふっと笑み、善処する、と政宗の熱烈な視線から逃れるように胸へ頬を押しつけた。窮屈そうに縮こまった身体を抱き寄せ、目の前の柔らかい銀糸へ顔を埋めながら政宗はもう一度、今度は先程より甘ったるい声音で繰り返す。擽ったそうに押し殺した元親の笑い声がした。
「天下の独眼竜がそんな弱気でどうするんだ?」
「そういう俺の事も、好いてるんだろ」
「この自惚れめ」
 回された腕が政宗を囲んでぎゅうと痛いほど締め付ける。見下ろした元親の耳元が赤く染まっていたから、文句でも言おうと開けた口は噤んでおいた。



「で、お前はこんな口が悪い俺の事を好いてるんだ…そうだろ?」
「Ha!確かめるまでもねぇことだな」
















(2008/05/02)
これでも蔵デート!と言い張る。