Baby, baby blue
地にふらつく足を縫いつけた自身に、覆い被さる空はおそろしいほど、真っ青だった。
政宗は、血と脂で汚れた最後の一刀を腰へ提げた鞘に収めた。壊れたように鼓動を繰り返す心臓が痛む。思わず装束越しに押さえながら、暴れる息づかいを少しでも落ち着けようとした。いつものように、苦しい。迫ってくる凶刃を紙一重で避け、隙だらけの体躯に握った刃を振るい、肉を裂いてさらに力を込める、あの瞬間。もしかしたら、ずっと息を止めているのかもしれない。政宗はそう考えて、馬鹿らしい、と頭の隅で吐き捨てた。
呼吸無しで人間が生きられないのは常識だ、だとしたら戦の間中、俺は死んでいるとでも?それとも、人間ですらないのか。
滲んだ汗が顎紐を伝って流れてくる。鬱陶しさに眉を顰め、気が付けば指をかけ解いてしまっていた。がつん、と乱暴に兜を足下に投げ捨て、湿ってまとわりつく髪の毛を振り乱す。
勢いで仰いだ空は、見たことがないくらい綺麗な色をしていて、雲ひとつ見当たらなかった。戦の匂いを運ぶ微かな風は、疲弊した身体に心地良い。
思わず、本音が漏れた。
「…会いてぇよ。いますぐ」
このまま馬を駆って向かうのも、一興だろ。むしろ城に帰ったら、何食わぬ顔で居てくれよ。手間が省ける。
会ったら、まず始めに何をしようか。最初から愛を囁くのもいいが。とにかく、抱き締めたいねぇ。ついでに、抱き締められるのも嫌いじゃないから、そうしてくれると有り難い。柄でもねぇが、時に人肌に触れると泣きたくなるんだ。だがよ、みっともない姿に幻滅してくれるな。
…そう、俺だって、アンタだって。本当は。
た ァん。
胸のあたりに、ひんやりとした風を感じる。不思議に思って手を当てると、見る間に深紅で染まった。ああそんな。先刻まで鞭打って走らせ、棒になった足が2,3歩たたらを踏んだ。上手く立ってられない。くそっ。
どこかで誰かが叫んでいる気がする。聞き覚えがあるようなないような。しかし、ずきんずきんと飽和してしまいそうなほどの痛みにかき消されて、よく分からない。
いつの間にか、政宗は地面に伏していた。
どしゃり。無様に倒れる音がする。再び、鋭い痛みが彼を襲った。
うう。はっきりと呻く。
ずきんずきん。足の指先が意志とは関係なく、小刻みに動いた。
そうだ、立ち上がれ。
歯を食いしばり、力を無くした肘を無理矢理立てる。擦りつけた額が未練がましく、地から離れない。
覗き込む形で、目に入った自身の体からは、それこそ大量の血が流れ出ていた。
見覚えが、ある。
これは、そうだ、いつも六爪で切り裂いた相手の。
真っ赤だ。胸くそ悪い。もう一度。
所かわって、気ままに航海する船の上。
甲板で、ゆらゆらと漂っては弾ける水玉を覗いていた元親は、ふと身を預けていた手すりから離れた。肩へ留まっていたオウムが、快いほどの羽ばたきを響かせて飛び立つ。同時に、からだの中心から何かが後頭部をすり抜け、消え失せようとしているのに気が付いた。
それは、予感でもなく、ほぼ確信にちかいものだ。
「あ…ああ…!」
元親はその場に崩れ落ちる。溢れてくるものを抑えきれなかった。両手で顔を覆い、歪んだ口元から零れるのは嗚咽。
これが堪えられようか。
まさかこんなにもはやく、こんなにも、こんなにも。ぼたぼたと指の間から雫が滴る。
気が付いた部下たちが駆け寄ったがそれに首を振り、しばらくの間、元親は泣きに暮れて動こうとしなかった。蹲ったまま、まるで寝起きに悪夢を怖れる幼子のように。
そしていつしか涙は涸れ、頬を濡らしたまま、このまま奥州へむかえ、と小さく漏らした。
「挨拶くらいは許されるだろう」
虚ろな瞳が青空を映す。
やさしく、やさしく。元親は静かに呟いた。
お前の好きだった俺がそっちにいったよ。
そう、俺だって、お前だって。本当は。
(2007/04/07)
そう、竜だの鬼だの言ってるが、本当は欲しいばかりで渇きに渇いた、人の子なんだ。