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 折角、政宗のためだけにと思ったのに。
 そこに当の本人の姿は無かった。

 およそ敗軍の将に宛がわれているとは到底考えられない部屋だ。離れにあるものの、決して粗末な座敷牢などではない。初めて目にすれば上等な客間だと勘違いしてしまうだろう。畳は新しく青々とし、欄間には雄々しく波打つ龍が美しい金細工で形取られ、鋭い眼光で此方を睨めつけていた。全てを拒むような厳しい眼差しだ。
 しかし、その右目は不自然に黒々と仕上げられている。
とりあえず派手な作りだったら何でも構わないと言いつけた元親の、唯一の注文だった。
「…」
 元親は柱に寄り掛かり無表情に室内を見渡すと、間もなく踵を返した。今度はどこへ行ったのか。口の端が持ち上がるのを止められない。愉快だ、愉快で仕方ない。
「政宗?どこにいる?」
 どれだけ声を張り上げても、しんと静まりかえったこの離れには虚しく響くだけだ。しかし、元親は構わず彼の名を呼ぶ。
「政宗?また鬼ごっこのつもりか?」
 込み上げてくる笑いを堪えきれず、元親はひとしきりその場で腹を抱えて笑った。

 骨と骨がぶつかり合う鈍い音がする。元親が廊下を曲がるとそれはいよいよ大きくなり、最後にひとつ、不明瞭にくぐもった悲鳴のような声に被さり響いた。荒い息遣いが耳につく。
 視線の先には、細部まで丁寧に刺繍された竜を羽織り、肩で息をする政宗の姿があった。彼は元親の配下の一人に跨ったまま、拳を振り下ろしていたらしい。政宗の拳には血が滲んでいる。
その羽織は元親が自ら政宗へと送ったものだった。当主である元親でさえ纏うことを躊躇うような、最上級の一品だ。足りないものは外から調達させ、一切の妥協も許さず、金に糸目をつけることなく作らせた。それにも関わらず、政宗は心底嫌そうな顔をし、元親の目の前で見せつけるように袖を通した。
 屈辱、と受け取ったのだろうか。しかし二度も同じ相手に敗したのだから今更だろうと思う。
 政宗と元親はこれまでに二度剣を交え、二度とも元親が勝利していた。一度目は奥州へ元親が乗りこんで散々暴れ回り、二度目はその雪辱をと政宗が四国へやって来たのを返り討ちにしてやった。
 互いの間に圧倒的な力の差はない。元親が勝てたのも、運に頼ったところが大きかった。紙一重で得た勝利。次の機会がもしあるならば、政宗に奪われてもおかしくない。
 そう簡単に譲るつもりはないが。
「オイ。やんちゃはそこまでだ。野郎どもにまで手を出したんじゃあ黙ってられねぇな」
 気配を消したまま声をかけたから、政宗は大層驚いたようだった。
彼が振り返るよりも速く、元親は無防備な襟首を掴み力任せに引き寄せる。体格の差は歴然としていた。手を離せば面白いほどの勢いで政宗が元親の背後を転がってゆく。
起き上がろうとする配下に手を貸してやり、容赦ない暴力の痕跡に眉を顰める。顔は痛々しく腫れ口を開くこともままならない。ここはいいから下がれ、と送り出すと非常に恐縮した様子で何度も頭を下げてこの場から離れていった。
元親が足を踏み出す。ぎし、と板が軋んだ音を立てた。
「政宗」
 蹲った彼の傍らへしゃがみ込み、極力優しい声音になるよう気を遣って声を掛ける。さすった背は肉が削げ落ち骨ばかり浮き出ていた。まともに受け身が取れないくらい体力が失われていることも納得できる。
政宗はここに捕らわれて以来、一切の食事を拒んでいた。一度、無理矢理詰め込ませたこともあるが口に指を突っ込んで吐き出し、てめえらの施しを受けるつもりはねえ、と言うものだから手を焼いている。さらに隙を狙って何度も脱走を試みていた。どうせ屋敷から逃げ出しても素人が海を渡って奥州に辿り着くのは不可能だというのに。きっと聡い彼のことだから理解しているのだろうが、内から湧き出る何かに突き動かされるのだろう。
「…今日、報せが届いた。伊達家は新しい当主を立てたそうだぜ」
 ひくり、と政宗の肩が跳ねる。
「お前の弟だ」
「…小十郎、は?」
 久方ぶりに聞いた彼の声音はか細く、今にも頼りなく消えてしまいそうだった。
「新当主の補佐役だと」
 小十郎とは常に政宗の隣に控えていた強面の男だったと記憶している。一度目の奥州でも、二度目の四国でも、いつもその男の姿はあった。二度目の勝敗が決まり、政宗の身柄が四国へ移されると知った際、彼は鬼のように顔を歪めて元親へと詰め寄ってきた。しかし結局は当事者である政宗に窘められ、小十郎は奥州へと帰還したのだった。
 おそらく、政宗と小十郎の間には元親が想像している以上のかたい絆が存在しているのだろう。それを根本から断ち切るような今回の報せ。
一体、どんな気持ちがするものなのか。主と従者の関係を軽んじている元親にとっては未知の領域だった。
震えだした政宗の身体を撫でさする。いつもなら払われてしまうが、今日ばかりは慰めるのを許してくれるらしかった。
「伊達家が、滅びることはないんだな」
「ああ。お前がいなくとも」
 ゆっくりと、政宗が全身から力を抜いていくのを見守った。握られていた拳はいつの間にか解け、投げ出されている。
 元親は彼の手を取り、甲に滲んだ血を舐め取った。鉄の風味が舌に広がる。
 決して美味くないが、大して不味くもなかった。



 立ち上がれない政宗を抱えて宛がった部屋へ戻る。元親も共に連れ立って入室し、後ろ手で障子を閉める。ぱたり、と軽い音がすれば、政宗は虚ろな瞳でこちらを見上げてきた。
「おかえり。政宗」
 歩み寄り、ぎゅう、と抱き締める。
 始め、政宗は怯えたように縮こまって胸に収まるだけだったが、おずおずと元親の背に腕が回した。元親は大きく深呼吸する。鼻腔を政宗のにおいで満たし、満足げな息を吐いた。
















(2009/04/05)
春の無料配布物。監禁ものだったのでなかなかお渡しするのが躊躇われ、まし、た…。
伊達を監禁したくて書きました。思いの外、元親が狂気的になってしまったのが反省点です。違うんだ…もっとこう、なんというか…!また書きたいです。