ゆきさくら











 桜が散る頃になって、あの男はやって来た。奥州の風は冷たい、とぼやくも縁側に腰をおろし、ずっと中庭を眺めている。風邪をひかれてはいろいろと困るから、上着を持ってきてやると喜んで腕を通した。茶と菓子をすすめながら、政宗は元親の隣に座る。
 風が、枝から薄紅色の花びらをさらっていった。
「見頃は過ぎたな。もう少し早く来れば、満開を見れたのに」
 政宗が言えば、元親は気にしたふうもなく答える。
「いいんだ。盛の桜は、四国で見てきた」
「なんだ。こっちの花はどうでもいいってか」
 肯定も否定もせず、そよぐ花弁を目で追う元親は愉しげだ。青すぎると知りながらも、政宗はむっと黙り込んだ。
 ひらひらり。ふたりに関せず、散っていく。満開の桜を酒の肴に酒を呑んだのは、つい先日のはずなのに、政宗の中では既に遠く薄れかけた記憶となっていた。
 そうだ。今日は客人がいることだし、夜桜で一杯と洒落込もうか。散り気味なのも、また趣があっていいだろう。
「こうやって、散る桜が見たかったんだ」
 どうやら、先刻の問の答えらしかった。眼前に舞う花びらを掴もうとしながら元親が言う。
「わざわざ?奥州くんだりまで来て?」
 腑に落ちないと聞き返す政宗に、ああ、と雑に返した。するりと指の間を抜け、積もる薄紅が大地を春色に染める。元親が残念そうにそれを見送った。見上げると青葉が若々しく萌え、木々や自然の壮大な息吹が感じられる。見事だ。
「葉桜が好みなのか」
「比べるのは難しいな。どちらもそれぞれ、味があっていい」
 ならば何故。菓子皿を差し出しながら、政宗が問う。そこから饅頭をひとつ、元親は口に放り込んだ。ならって政宗もつまみ、もくもく数度噛んだあと茶で流す。
 ひときわ強い風に枝はしなり、離れた花弁が部屋に吹き込んできた。
「ゆき、だ」
 掌にはひとひらの花びら。
「雪に似ている」
 大事そうに握りしめて、元親が言う。
「まだ見ぬ冬景色の奥州に、思いを馳せてみても構いやしないだろう」
 政宗ははっとする。
 この男は、あの凜として美しく広がる寒空を知らないのだ。一点のけがれもない、真白な雪がこの地を包む様をその目に映したことがないのだ。
 思いつくと、それがひどく残念で口惜しい。
「…一緒にしてもらっては困るな」
 湯飲みから手を離して、政宗が答えた。それもそうか、と元親は息を吐く。菓子皿の饅頭がもうひとつ、姿を消した。
「雪は、地に積もっても色を変えない。どこまでも白くて、厳しく凛々しい。今度の冬にでも確かめに来い」
 新しい茶はいるか、と聞けば湯飲みを差し出す。その中に新しく舞った花弁が迷い込んだ。
 元親は目を細めて笑う。
「なら政宗、お前は四国まで桜を見に来るといい。吹く風も、春の海の香りも、すべて優しい。きっとお前も気に入るさ」



 また風が吹く。桜が散った。
 こんな口約束はいずれ、移ろう季節の合間に埋もれてしまうのだろう。けれどもせめて。

 雪に桜に、愛し君を思い浮かべたいと強く強く願って止まない。















(2006/05/02)
さくらさくら。君のもとにも咲いてくれ。