せかいでいちばんやさしいうたを
主の声が聞こえる。
誰かと話しているのかと思いきや、どうやらそうではないらしい。耳を澄ましてみれば、その声には規則的な抑揚があって、ときおり有耶無耶に揺れる。それが歌だと気付くまで、そう時間は要らなかった。
佐助は屋根裏をつたい目的の部屋の上に着くと、拳でこつこつと天井を二度ほど叩く。主の了承の声はすぐ返ってきた。音も立てず、身軽に降り立つ。
「佐助。もうそんな時間だったか」
ならば急がねばな、といくらか手を早めていつもの紅い衣装を身に纏う。その様子をしゃがみ込んで何の気無しに眺めながら、佐助は尋ねた。
「旦那、さっきの歌ってさ」
「うた?…ああ、聞いていたのでござるか」
これまた紅い鉢巻を手に、幸村が答える。
「別に深い意味はござらん。朝目が覚めて浮かんできただけでござる」
「…へぇ」
「おそらく、小さい頃に聞かせられたのだろう。今となってはほとんど思い出せない」
そう言って背中を向け、またゆっくりと歌い出す。さっきよりも幾分声は小さい。記憶に埋もれた音を探すように、一音一音。
「そこ」
唐突だ。止められて振り返ると、幸村は佐助に指さされていた。
「違うよ旦那。さっきから気になってた」
「む」
「そこはさ」
文句までは覚えていないのだろう、鼻にかけて佐助は歌う。一区切り終わると、こんなんじゃないっけ、と首を傾げてみせた。
「確かに…」
「でしょ?俺もこの歌、聞いたことあるよ、多分」
一方が止まっても一方が歌い続け、二人の声は徐々に重なっていく。
いつ覚えたかも覚えていない歌だ、お世辞にも上手いとは言い難いがそれでも。
「そこは違うぞ佐助」
「え」
不器用な歌は、なかなかやって来ないふたりを心配した忍が、部屋に様子を見に来るまで途切れることはなかった。慌ててふたりは駆け出す。道中、どっちが悪いだのくだらないことを喚きあいながら。
まもなく戦は始まる。
(2006/02/07)
たむけにひどくやさしいうたを。どこかで覚えたやさしいうた。