白雪の君











 奥州で迎える冬の朝は寒い。切りのない寒さに骨の髄まで凍てついてしまいそうだ。元親は目を覚まし、瞬きを繰り返しながら無意識に隣の温もりへと腕を伸ばす。しかし、指先には何も触れず、虚しく空を切った。寄り添い眠っていた筈の政宗が居ない。まだ微か温いから、去ってそれほど時間は経っていないのだろう。手持ち無沙汰に体温の残る敷布を弄んでいたが、それにも直ぐ飽きた。再び下りそうになる瞼と格闘しながら、布団を口元まで引き上げて元親は辺りに耳を澄ます。
 冬の、凜と張り詰めた空気が好きだ。特に奥州では際立つように感じる。どこか硬質な静寂や美しさは政宗を思わせた。
 誰かが廊下を渡り、こちらへ近づいてくる気配がする。この周辺を歩くことが許されている者は限られているが、一体誰だろうか、淀みない足取りを窺いながら考えた。みしり、と廊下がはっきりと軋む音から、おそらく政宗ではないと見当をつける。すっ、と障子から差し込む、降り積もる雪によって弾かれた光を廊下に膝をつく人影が遮った。
「長曾我部殿」
「片倉か。つい今し方、目が覚めたところだぜ」
 元親はもそりと布団から這い出し、寝乱れた前を気持ち程度正して、おお寒い、と大きく身震いした。容赦ない冷気が無遠慮に肌の上を撫でてゆく。あっという間に体温がなくなってしまいそうだ。
「政宗ならここには居ねぇよ。俺が起きたらもぬけの殻だった」
「政宗様なら、朝餉に自身の手料理を何か一品でも、と台所へ。早速その膳をお持ちしました」
「へぇ…手料理か。それは楽しみだな」
 ガチガチと合わない歯の根に苦心しながら答え、枕元に畳んで置いてあった綿入りの半纏に急いで腕を通す。奥州の冬に肩を竦め、閉口していた元親へと政宗が特別に仕立てさせた一品だ。誰の目からもそれが上等な代物だと分かる、深みのある紫紺の布地に金糸で小さく刺繍された七つ片喰いの紋。派手好きな奴が作らせたにしては随分と質素だったが、アンタが着るから映えるんだよ、と妙に自信ありげに持ってくるものだから、そういうものかと元親は有り難く受け取ることにした。中身の綿も同様、一級品を使っているようで驚くほど保温性に優れている。しかし、温さへ慣れきった起きたての身体には些か物足りなかった。
「さみぃな。年寄りの身体にはこたえるってもんだ」
「またご冗談を」
「悪いが火鉢を持ってきてくれねぇか。これじゃあかなわねぇよ」
「かしこまりました。すぐお持ちしましょう」
 隣の間へ襖を開けて移ると、既にそこには小十郎が控えており、朝餉の膳がふたつ湯気を立てていた。実に美味そうだ。地産のものが惜しげ無く使われた料理は親しんだ四国の味とはまた違って、元親の舌をいつも喜ばせる。
「どれ。早起きしてまで作ったのはどの品だ?」
「鬼の舌がどれほどのものか見せてもらおうじゃねぇか、とのことです」
「どうせ、端から見守っているつもりが手際に苛々して全部自分で作っちまったんじゃねぇの」
 半ば冗談で溜め息混じりに言えば小十郎は強面を少し和らげて、是非とも本人へ直にお伝えください、とほんの少し肩を揺らした。なるほど、図星らしい。政宗の予想を裏切らない振る舞いに自然と元親の頬が緩んだ。
「お前も政宗も随分と早起きなんだな。俺は駄目だ、布団から出るのが億劫に思う」
 私はともかく、と前置きした後、小十郎はまっすぐな背筋をさらにぴんと伸ばす。
「政宗様がこうして朝、ひとりでに起き出すのは珍しいことですが。普段は一度目が覚めても、刻限前ならお付きの者がやってくるまで布団にしがみついていますから」
「寒いのが苦手なのか?」
「左様で」
「ははっ。そうか」
 袖の中に腕を隠して、くっと笑う元親につられ、小十郎も小さく苦笑を溢した。二人は足音を忍ばせて来る人影に気がつくことが出来ていない。
「…Hey,お楽しみのところ悪ぃが開けちゃくれねぇか。両手がふさがってる」
 今度は見慣れた体躯が廊下からの光を遮った。近くに控えていた小十郎がするりと障子を滑らせると、冷やされた空気と些か不機嫌な顔をした政宗が部屋の敷居を跨いだ。その腕には大きな火鉢が抱えられている。
「小十郎。炭を置いてきた。もう充分火はついただろう、持ってこい」
「承知」
 軽く会釈し、入れ違いに退室していく小十郎の所作はどれも落ち着き払っており、まさか政宗と十ほどしか変わらないとは驚く他ない。政宗の右目であり、また、頭の切れる参謀だと聞き及んでいる。自身より年下のくせに、よくできた男だ。何となく離れていく影をずっと目で追っていたら、どすん、と背後で政宗が火鉢を下ろす。そんなに勢い良くしたら畳が痛んでしまう。それが分からない愚鈍ではないのに、政宗はぶっすりとした面持ちで座り込んだ。
「なに拗ねてやがるんだ」
「拗ねてねー」
「そんなに俺が片倉と話してたのが気に入らねぇのか?ん?」
 かわいいねぇ、と揶揄すれば政宗はふいと明後日の方向を向く。餓鬼臭いことこの上ないが、そういう所も嫌いではなかった。
 ふと政宗の手を見やれば、可哀相なほど真っ赤に染まっている。料理の仕度で冷水を扱ったのだろうか。思わず握り込むと、やはり竦んでしまうほど冷たかった。政宗が弾かれたように元親の方を向く。にやり、と笑ってみせれば、ぽかんと呆けた顔が目前に晒された。膝を進め近寄り、力任せに引き寄せると政宗は簡単に体勢を崩す。そのまま倒れ込んでくる身体を抱きとめて二人で寝転がった。
「な…!」
「お前すっかり冷えてんのな」
 起きようと藻掻く政宗を押さえつけ、半纏の裾で包み込む。その姿はまるで二人羽織のようで不格好極まりない。間もなく互いの体温が触れ合った所からじんわりと馴染んできた。元親が政宗の項に鼻を擦りつけた頃から抵抗は止んでいる。大人しくなったのを良いことに元親は一層回した腕に力を込めた。
「ほら、こうしてるとあったけーだろ?」
「アンタが寒いだけじゃねぇの」
「そうとも言う」
 大真面目に答え、揃って吹き出した後、政宗は元親の腕の中で反転した。右目と左目、明かした方で正面から見合う。それだけでは足りなくなって、元親は目を伏せゆっくりと唇を重ねた。
 温かいような冷たいような、不思議な感触がする。
「それも、寒いからか?」
「ああ」
 政宗がひとつ、瞬きをした。その音すら聞こえてきそうで、冬の静寂さを改めて思う。
 次の瞬間には政宗の口元が持ち上がり、不敵な笑みを形作った。すらりと伸びた腕が元親の着膨れた背を辿る。意味深な動きをするそれを、元親は黙って許していた。寒さに人肌恋しく思うのは道理に合っている。隣の間には元親が使った布団が敷かれたままだ。このまま、二人で温まるのも悪くない気がする。



「…朝餉と、火鉢も要らないようでしたら下げさせますが?」
 だがしかし、腹が減っては何とやらと言うことだし。
 廊下からの小十郎の問いかけに即答した元親が、政宗の機嫌を再び損ねるのはもう間もなくの話。
















(2009/01/12)
雪って鉱物に分類されることがあるそうですよ。
元親をアニキにしたい!アニキー!と思ったらこうなった。なぜだろう。