鬼の嫁入り











 背中へ回された元親の長い腕に力がこもる。身の丈以上の獲物を容易く振るう馬鹿力だ。遠慮無く抱き締められれば当然苦しい。しかし、それ以上に胸がいっぱいで、政宗は目の前の首元へ顔を埋めて密かに息を吐いた。微かに笑う気配がする。仕返しに真っ白な肌へ歯を立てればびくりと小さく震えたのがわかった。湯浴みをしても落とせないくらい染みついているのか、微かに潮の香りがする。こうして顔を合わせるのは本当に久しかった。徳川の名の下、太平の世を迎えてから数年。小競り合いも忘れた頃にぽつりとあるかないか程度で、奥州を治めるため退屈さを噛み殺しながら細々と雑務をこなす日々だった。目の前の男といえば、早々に弟へすべてを譲り渡し自身は外交という名目で勝手気ままな船旅を楽しんでいたのだから、うまくやったものだと感心するしかない。その手があったか、とある時ぼやいたら己の右目が強面の顔をさらに険しくして小言を言いたそうにしていた。
「今度はどれくらい滞在していくんだ」
 そこら中を撫で擦っていく掌はあちこち荒れたり割れたりで、船上での生活が決して楽なものではないことが知れる。雨、風、嵐。自然は時に容赦なく牙を剥く。それでも、好きだからという一心だけで簡単に飛び出していく元親の奔放さを羨ましく思う反面、恐ろしくも感じていた。おそらくこんなことを口にしたところで、適当に流されて終いだろうが。しばし元親は思案する。
「どうしようかねぇ」
「そりゃあどういうこった」
 政宗が鼻で笑うと、元親は小さく唸りながら肩口へ鼻先を擦りつけてきた。大柄な体躯を無理矢理縮ませて甘えてくる姿は一等いとおしい。
「なぁ。俺を娶る気はねぇか?」
 元親が突拍子もないことを言い出すのは今に始まったことではない。しかし、内容が内容だけに政宗はたっぷりと沈黙を返した。口を噤んだことに不安を覚えたのか、元親が顔を覗き込んでくる。
「だめか」
 その表情は器用に笑っているものの、確かに落胆の色が見て取れた。いざとなれば冗談にしてさっさと話題を逸らすつもりに違いない。意外と狡賢いところのある男だが、残念なことに政宗にその手は通用しなかった。諸手を挙げて降参し、認めるしかないほど惚れ込んでいるのだ。それくらい察してやれなくてどうするというのか。政宗はにやりと口元を緩めた。
「とうとう嫁入りの覚悟ができたってとこか」
「ああ。全部残らず置いてくるぜ」
「で、軽くなった身体でまた気ままな旅暮らしか」
「まぁそこらへんはちょっとだけ目を瞑ってくれよ」
 ふと笑った元親がこちらの瞳をまっすぐに見つめてくる。そのまま唇を啄まれ、甘噛みされた。ぴたりと合わさった胸で感じる二つの鼓動が同期し、徐々に早くなっていく。
「帰ってくる場所はここってこと」
 政宗は密かに目を丸めた。誰よりも自由を愛する男を唯一繋ぎ止められるのは己だけ。そんな告白をされては自惚れたくもなるというものだ。
「おい、色男が台無しだぜ?」
「My darling,そりゃあしまりのない顔にもなるだろ」
 今更になって、こうして穏やかな幸せを噛み締められる時代がやってきたことに気がつかされる。政宗は頬へ掌を滑らせ、そっと顔を近づけた。元親の瞼が静かに下ろされる。これ以上の言葉はもう必要なかった。
















(2012/11/15)
無性に幸せな二人が書きたくなってこんな時間(※出発5時間前)に仕上げました。眠いです。
↑こんなふざけたあとがきでした。お粗末様でした。