先生と俺01


*学園設定ですがこのシリーズだけ伊達が生徒、元親が教師となっています。
 尚、CPは変わらず伊達チカです。









「ここであの公式を使うんだ。忘れてないよな」
 生白い腕が、黒板に新たなみみずを並べていく。あまりに字が汚いため、既に解読は困難を極める。書き殴った平仮名も片仮名も、アラビア数字も定理も、てんでばらばらな方を向いているようで取り留めがない。
 しかし、この教師の授業は評判が良かった。
「じゃ、永井。解いてみる?」
 まず、生徒の名前を覚えるのが異様に早い。受け持つクラスは大体把握しているらしい、とどこかで聞いた覚えがある。そういえば教室に名簿を持ってきたのは始めの1、2時間だけで、今では手ぶらで来ることが多い。教科書すら持ってこない時だってある。なかなかに怠惰だ。
 そして、話し方が上手い。数学というと何かと覚えることが多く、理解のできない説明の羅列が続く生徒泣かせの科目だが、彼の授業は違った。不思議なこともあるものだが、彼の言葉にかかれば難解な公式も定義もそれこそすとんと、どうしてか自然に飲み込めてしまう。
「おー上出来!じゃあ次の奴には少し応用やってもらおうかなぁ」
 沸き起こりかけたブーイングを軽くいなして、教壇からぐるりと教室を見回す。ある一点で目をとめると、その席の主ににやりとしてみせた。
「伊達政宗、いってみるか?」
 廊下側の列、後ろから数えて二番目の席が伊達政宗の席。ちょいちょいと手招きされると、案外素直に立ち上がり机の間をぬって近づいていった。
 教師の方が10センチ前後背が高い。おそらく180センチはあるのだろう。並ぶと政宗は心持ち見上げる形になった。持ちやすく丸められた問題集を渡され、長細いけれども男の指が一問を指さす。
「これな。問14の応用b」
「黒板は消しても?」
「自由にどーぞ」
 絶対からかわれている。言葉の端々に楽しそうな気配が伺えた。顔だって不自然なほど緩んでいる。
 政宗は腹いせに、チョークの粉が彼の座っている方向に飛んでいくようわざとらしく消してやった。ほんの少し顔をしかめたのを見るだけでも、気が紛れる。ざまぁみろ、ほら、早くチョーク寄こせよ。





 クラスの数学担当、長曾我部元親は変わった男だった。
 つい先日政宗は元親と初めて会話らしい会話をした。詰まるところ、偶然にはちあっただけなのだが。
 この高校は、1年から3年までの教室が主なA棟と、化学室、被服室、情報処理室等々の特別教室が主なB棟とが並んでそびえ立っている。それらの高い壁に挟まれた狭い間を抜け裏に回ると、さほど広くないものの、腰を落ち着かせるには十分なスペースがあった。
 コンクリートが敷かれていて、陽射しは日が高く昇ったときにしか照らない。付近の窓からはもちろん、渡り廊下からも死角になっている。つまらない授業から抜け出してひとり時間を潰すには、邪魔も入らず良い場所だった。数少ない、政宗のお気に入りだ。
 昼休みの終わりを告げるチャイムは、気がつけばとうの昔に鳴り終わっていた。政宗は悩むそぶりも見せないほどの即決で、次の授業はサボることを決める。
 なのに。
「お、先客がいたのかよ」
 向こうから、長身のシルエットがやって来る。聞き覚えのある声だと目を凝らすと、煙草を吹かした元親が見えた。その手には缶ジュースとライター。
 見つかったらしょうがない、小言はたくさんだ。厄介なことにならない内に退散しようと、政宗は腰を上げかける。
 が、元親がヒラヒラと揺らす手でそれを制した。
「はーよっこらせ。かったりぃ事が多くて嫌になるな、伊達政宗クン」
 ちゃっかり隣を陣取ると、大きく息を吐き出す。煙は景色を曇らし、やがて混じって消えていく。吸い込むと先の火が赤々と燃えた。
 煙草はもう短い。唇から離すとコンクリートに擦りつけてもみ消した。
「いる?のどかわいてない?」
 差し出されるのはジュース。一人で飲みきるには多め、しかも炭酸だ。
 政宗は首を振った。
「じゃ、こっち?」
 今度は尻のポケットに忍ばせていた煙草の箱をだす。政宗の顔の前で揺らしてみせた。
「いらねーよ」
「もしかして嫌い?」
「嫌いでも、好きでもない」
「へー」
 歪んだ箱から2本目を取り出す。ポケットをしきりに探しているが、目的のライターは彼のすぐ近くに転がっていた。座り込んだ際落としたのだろう。気がついた政宗が拾って、顎で促す。お互いの身体を傾けて、元親は顔を寄せた。
 摩擦音と一瞬、オレンジの光が飛び出し先を焦がす。
 元親がまた白い煙を吐いた。今度はにおいが少しだけきつい。おそらくさっきとは銘柄が違う。
「元親センセこそ、何してたわけ?」
「小テストの採点。あ、思い出したけどお前係だろ。取りに来いよ」
「…忘れなかったら」
「やりたいことはそれとなくだけど、やりたくないことって死ぬほどたくさんあるよな」
 おもむろに天を見上げジュースを流し込むと、元親の白い喉が上下して音を鳴らした。なんとなく、目が離せない。
 太陽が流れる雲に隠れた。向き合っていたお互いの顔に、影がおちる。
「いいね、嫌いじゃねぇよ」
 鼻に皺を寄せて元親が笑った。  再び差した陽射しが徐々に、元親と政宗を照らしていく。冷たいコンクリートもじりじりと灼いた。
 もったいぶった演出のシーンのようだ。ゆっくりと時間は過ぎる。

 …ぐぇっぷ。

 それを破ったのは喉の奥からこぼれた音。
「あはは、わーり!我慢してたんだけどよぉ」
 呆ける政宗に、あくまで悪気はないと詫びを入れる。あっけらかんとした物言いにはむかつく胸もなかった。
「さて。もうそろそろ行くか。5時限目も終わりそうだし」
 元親が立ち上がる。最後に大きく吸い込むと煙草を足下に落とし、ふみつぶして火を消した。たっぷりと煙を吐く。
「お前も次は出ろよ。俺の数学だからな」
 言いながら戻って行く途中、あ、と振り返り、飲みかけのジュースだがくれてやると残していった。猫背気味の背中が遠ざかる。

 さらに政宗の手には、持ち主に存在を忘れられたライター。中味はほとんど無かった。
 始まりを告げるチャイムが鳴る。















(2006/02/05)
年下攻めの大好きなあの子のネタがきっかけ。
とりあえずそれっぽいのをもりもり盛り込んでいこうと始めたシリーズです。もーりもり。