先生と俺3.5


*学園設定ですがこのシリーズだけ伊達が生徒、元親が教師となっています。
 尚、CPは変わらず伊達チカです。









「げ」
 ぼーっ、としていたら、知らぬ間にカップにはミルクがこんもりと山盛りされていた。しまった、底にあるはずのコーヒーが見えない。面倒でもスプーンを出すべきだったと、元親は職員室の小さなキッチンで激しく後悔した。
 さすがにこの量だと飲む気が失せる。だいたいコーヒーと呼べる代物ではない。なんだこれ、ミルク?脱脂粉乳?どっちにしろ、真っ白な液体だ。ちくしょー、俺が飲みたいのはコーヒー7ミルク3くらいだというのに。どう見たってコーヒー1もないじゃないか。誰だ、口を大きく開けた奴は。まだ中身がたくさんあるんだから、考えてくれたって。
 取り敢えず、もう止まった食器乾燥機の中からカップをいくつか出してきて、有り余る白い粉を分けていく。
「あ」
 零した。ついていない。溜息が出てしまう。
 あの日から、こんな調子が続いて早数日。どうやら自覚している以上に動揺しているらしい。どうしたらいいものか、どうにもあったもんか。はぁ。
「それ、もらってもいいんですか〜?」
 いつもにこやか、ジャージと笑顔がトレードマークの保健体育担当、利家が近づいてきて一際ミルクの多いカップを手にした。まだいりますか、と元親が冗談のつもりで聞いてみれば目を輝かせて、じゃあお願いします!と差し出される。
「どうせならこっち、どうぞ。まだたくさん入ってるんで」
と、内心呆れながら元親は、持っていたカップとの交換を薦めた。





 あの日から、政宗と顔を合わせていない。授業で教室へ行っても姿が見えないし、いつもの面談室にも現れなかった。というのも、どうやら学校自体を欠席しているらしい。朝のプレテストを抱えてやってきた、佐助と幸村から聞いた。
 このふたりとは、昔からの長い付き合いで腐れ縁だ、と政宗がぼやいていたのを思い出す。
「政は元から身体が丈夫じゃないからねー」
「俺たちが見舞いに行ったときは、白目むいていなかったか?」
「あれは咳のしすぎでしょ。かなり苦しそうだったね」
「鼻もかめないほど真っ赤だったな。あの調子だと、まともな生活はしばらく無理そうですよ」
「そういうわけで。はい先生、これテスト。政が無事復帰するまで、俺らが代行してあげる」
 当たり障りのない返事をして受け取りながら、意外だとは思わなかった。政宗の身体の線は同世代と比べてみてもいくらか細かったし、会う度によく咳をしたり鼻を啜ったりしていたのには、しばらく前から気が付いていた。しかし、それでも変わらず口はよくまわるものだから何となく、心配する必要はないように感じていた。むしろ、したらしたで不機嫌になる。
 別段たいした意味を求める交流ではなかったが、繰り返していく内自分はどうやら、伊達政宗、という人間を理解しきったと勘違いしていたらしい。まだまだ知らないことも多々あるのにも関わらず。そう、たとえば彼の内に秘められていた想いだとか。
 これっぽっちも気がつけなかった。それを悔やむべきだったのかどうか、元親は今でも判断できないでいる。現在、偶然にでも距離が置けているのは良いことだと感じていた。





 行きつけの弁当屋の唐揚げDXは、世辞抜きに美味い。しかも安い割に、成人男性の腹を充分満足させてくれる有り難いボリュームだ。
 朝の会議で配られた薄っぺらいプリントの上にその弁当を広げ、元親は手頃に冷めたコーヒーを啜る。ちらり、と隣を窺えば、利家があの山盛りミルクが溶けたカップをがぶがぶ口に運んでいた。
 いい飲みっぷり。ちっともコーヒーの色合いはしていないのに。
 視線を利家の乱雑な机に落とせば、不釣り合いな可愛らしい写真立てが紙の山に埋もれて、ひとつ飾られていた。手を掛けてこちらを向かせる。写真にはこれ以上ないくらい満面の笑顔でめずらしく正装姿の利家と、目尻を赤くしながら笑みを浮かべる、制服を着た若い女子が並んで映っていた。ふたりの胸には造花が留められてあって、女子は黒い筒を抱えている。
 見慣れない顔だが、よく目を凝らせばその制服はここから二駅ほど離れた所にある、有名女子校のものだ。利家の前任校はその女子校だったはず。
 はー、なるほど。
「これって、卒業式に撮ったんですか?」
「あぁ、前に勤めていた学校で、今年の春に。恥ずかしいですね!」
「いやいや。女子校なんて羨ましい限りで。でも大変っすよね」
 元親はにやにやとからかうような笑みを浮かべながら、器用に指で写真立てを回し、きょとんとしている利家の方へ戻した。
「だって先生、結婚してるでしょ。不倫はいけませんって」
 そう言って、利家の左手薬指を示した。そこには、清楚でシンプルなデザインの指輪がはめられている。元親がそれに気が付いたのは、つい最近のことだった。部活動の一日代理顧問を頼まれ、拝むように顔の前で合わせられていた手に見えた。他の先生に聞けば、この高校へ来たとき既に身につけていたという。ならば、昼ドラ好きのお母様方が喜ぶようなことが、多少なりともあってもいいのでは。ほら、写真の女子も泣いているように見えなくも、ない。
 自分とそう年が離れていない、もしかしたらひとつやふたつ若いのに結婚済みだとは。道理で、この間電話をかけてきた実家の母親が、好きな子でもできないの、と尋ねてくるはずだ。
 こんな年にまでなった息子に、そう聞くか。というか、好かれはしましたけどね、男の子に。目を白黒させてひっくり返る母親の姿が想像されて、つい吹き出しそうになる。いや、笑っている場合ではない。けれども、笑えばほんの少しでも気が紛れた。
 あぁご心配なく、と利家が一滴残らずカップの中身を飲み干して言う。

「その子が妻なので」

 さらりと返ってきた言葉に、元親は眩暈を感じた。白いワイシャツに染みをつくるのも嫌だったので、落としてしまう前にカップを机に置く。利家がそんなことはお構いなしに、お昼いつも作ってくれるんですよ、といそいそ弁当を取り出し始めた。
「えっと、学生結婚ですか?」
「結納は済ませてました。正式な手続きは卒業した後で」
 言葉の途中で今度こそ、上手く喉を通っていかなかったコーヒーに咽せる。けんけん、としばらく乾いた咳は続いた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですかー」
 驚きますとも。そんな核爆発級の暴露はいらなかったのに。
 きっとこのセンセは、好いた惚れたで悩んだことなんてないんじゃないか。それなら世界はあっという間にピンク色だ。あの子、一体何歳なんだろ。早まった、とか考えなかったんだろうか。
 あーもう、愛ってなんだ恋ってなんだ。それさえあれば埋めようのない年の差も、その他諸々のことも、そう、たとえば男同士だとか、一切さっぱり気にかける必要もないのか。ちょっと放課後、補習でもしてくれ。この絶妙な心境が解消されるなら、安いもんだ。
 その内なる呟きはどうやら、前半一部分が外に溢れてしまったようだ。待ってました、とばかりにこちらを向いた利家の、恥ずかしいことを平気でぼろぼろ吐き出すと有名な口がちょうど良く開いたので、惜しいが唐揚げを一つ放り込んだ。もくもくとかみ砕いているのを見計らって、元親はさっさと机を離れ、いつもの隠れ家へ避難しようと席を立つ。さすがに、ピンク色の話につきあいきれるだけの気力は残されていなかった








 あーあ。俺はどうしたいのかね、どうなっても困るけどよ。
 まるで人ごとのように、元親はひとりごちる。諦めを含んだ溜息が溢れた。















(2006/06/20)
「先生と俺」番外編その2。03後のもんもん元親先生視点。
幸村と政宗と佐助は同じクラス。幸村は普通に喋りますよ。佐助はあのヴォイスを思い出して頂けると幸いです。